「妻の話を聞く」実践を通して、妻の心を素直に受け入れられるようになり、夫婦の絆を取り戻した二つの事例を紹介します。
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A社長は結婚して四十年。この間、自分の思い通りに会社を経営し、家庭生活を営んできました。当然、妻に相談をしたり、話を聞いてあげるということは一度もありませんでした。A社長にとっては、こうした生活が当たり前のことでした。
その後、倫理法人会に縁があり入会。学びを深めていくうちに、徐々に自分自身を冷静に振り返ることができるようになりました。〈何もかも自分の思い通りに行動してきたが、妻はどんな思いで受け入れてきたのだろう〉〈妻の話を心から聞くことなどなかったが、妻には随分我慢を強いてきたのでは〉〈こんな勝手なことばかりしてよくここまで大きな問題が起きなかったものだ〉。
A社長の心が変わり始めた瞬間でした。
そして意を決して始めた実践が「妻の話を聞く」ということでした。決意したものの、なかなかすんなりとは実践できませんでしたが、三カ月も経過すると妻の話を何とか聞いてあげられるようになりました。そのようになって一番喜んだのは妻です。A社長からの一方通行の話を聞くだけだった妻が、長年溜め込んでいたものを一気に吐き出すように話し始めたのです。
「このまま進んだら妻はいよいよ調子に乗ってしまうのでは…。ちょっと恐怖です」と言うA社長でしたが、その表情には妻の心を受け入れることができるようになった喜びが満ち溢れていました。
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B氏は出張の帰りが遅くなるといつも妻に駅まで迎えに来てもらっていました。車に乗り込むと、妻はすぐに留守中のいろいろな出来事を喋り始めます。疲れているB氏は「今、そんなに喋らなくてもいいだろう。家に着いてから聞いてあげるから」と対応していました。妻は話を聞いてもらえなかったことが何となく不服のようでした。家に着いて「ところでさっきの話はどういうこと」と聞くと、妻は「もういいわ」とそっけなく答えるのです。
同じようなことが繰り返されたある日、B氏はフッと気づくことがありました。〈話は相手が話したいと思ったその時に聞いてあげないと本当に聞いてあげたことにならないのではないか。妻もきっとあの車の中でこそ話を聞いてもらいたかったのではないだろうか〉。
以来B氏は、どんなに疲れていても、また忙しくても、妻から「話を聞いてほしい」と言われた時が一番大事な時と受け止め、真剣に耳を傾けるようになりました。すると妻も「疲れているところをごめんなさい」と言いながらも、思いのすべてを嬉しそうに語ってくれるようになったのです。
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以上、二つの事例から、人の話を聞く時には「心から聞く」「すぐ聞く」ということが大切であると教えられます。周囲の人(特に身近な人)の話に「真剣に耳を傾けているのか」「あと回しにしていないか」を改めて振り返り、「聞く実践」に徹していきましょう。
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地球倫理を推進し地球も自分も輝く
「地球の悲鳴が聞こえる」とは、本のサブタイトルにもなり、ここ数年叫ばれ続けてきた言葉です。文明の大転換期といわれる昨今、私たち人間は「地球の悲鳴」にもっと耳を澄ませる必要があります。
すでに限りある資源は底が見えはじめ、異常気象が相次ぎ、地球が私たちに警告を与えているように思えてなりません。
倫理研究所の目標理念のひとつに「地球倫理の推進」が挙げられています。その取り組みとして沙漠の緑化事業があります。
それが倫理研究所創立55周年を記念して始まった、中国内蒙古自治区クブチ沙漠での「地球倫理の森」創成です。これまで、延べ千七百名余りの参加者が三十万本以上の樹を植林してきました。
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大好きだった父親を亡くしている神奈川県在住のHさんは27歳の保育士です。倫理研究所の沙漠緑化隊に参加し、かけがえのない経験をすることになりました。
環境問題に取り組んでいた父親を見て育ってきた彼女は、自分もその影響を強く受けていると自負していました。しかし、地平線まで続いている沙漠を目の当たりにし、過酷な環境の中に身を置いて、〈自分がいかに恵まれた環境に甘えて生きてきたのか〉ということを思い知らされたのでした。
〈沙漠で暮らす人たちは、決して豊かとはいえない生活状態。それでも目は輝き、笑顔で生活している。自分は小さなことに腹を立て、多くを求めてしまう。地球には自分と正反対の生活をしている人たちがたくさんいる〉という事実に愕然としたのでした。
〈今まで私はなんてわがままだったんだろう。よし、これからは自分の思い通りにいかなくても笑顔でいよう。植林は大変だけれど、周りのメンバーを励ませるように大きな声で明るく作業しよう〉と心に決めたのです。
するとその夜、大好きだった父親が初めて夢に現われたのです。植林する自分を、何もしゃべらずにニコニコと見つめているのです。Hさんは目覚めた時、涙を流していました。自分のことはさておき、いつも人のためにという生き方をしていた父親が、自分の姿を喜んでくれていると感じたのです。
沙漠の地で今までになかった明るく広い心を持つことができたHさん。日本に帰ってきてからも、頭には常に「どういう行動をとったら、地球と父親は喜んでくれるだろう」という考えを持つようになりました。そして沙漠での経験を、保育園で他の先生や子供たちに伝えている日々です。
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地球規模の様々な問題は、現況ではとどまるところがありません。しかし、私たちが自分のことだけではなく、地球環境レベルにも目を向けていく時、環境の改善は多少なりとも前進します。また自分自身も成長し、豊かな人生へと昇華していくのです。
地球の保全なくして人類の輝く未来はありえません。地球倫理の推進を計り、小さなことであっても、自分にできることを続け、水と緑の潤いに満ちた地球を取り戻す働きをしていきましょう。
目と耳を鮮明にして正しい情報を得る
現代はインターネットを始めとする情報発信が急速に発展しています。瞬時に情報が伝わり、そして洪水のごとく溢れ返っています。その結果、何が正しくて何が間違いなのかが分からないまま、情報に振り回されてしまう場合があります。
逆説的に言えば、情報がないと動くことができないのが現代社会です。人は正しい情報から正しい理解が可能となり、正しい指示や正しい行動ができます。したがって、情報の正しさを見抜く力は不可欠です。
複数の情報を組み合わせることによって、別の情報が浮かんでくる場合もあります。円筒形を上から見れば、その形は「円」です。横から見れば「長方形」です。その二つの情報から「円筒形」という最終的な情報を得ることができます。
必要な情報を得るには「目的・目標」を明確にし、「見る」「聞く」を鮮明にすることです。例えば、車を買い換えようと目標を定めます。すると街を走っている車の見方が変わります。「あの車の色はいいな。どこのメーカーなんだろう。燃費はどれくらいなんだろう。値段はいくらぐらいするんだろう」と、自然と興味が湧いてきます。
それまでも一日に何十台、何百台と自動車は目に入っていたはずです。つまり目的・目標を明確にするとは、「見る」から「観る」に、「聞く」から「聴く」に意識を研ぎ澄ませていくことにほかなりません。
耳は「聞く」ものである。聞かねば耳ではない。まともに、ありのままに、淡々として私情私意、我情我欲を差し挟まずに、たださながらに聞く、これが本当の耳である。聞こえても、そのままの意味に取らなかったり、反対にとったり、裏を考えたり、ねじけたり、ひねったりする人の耳は、その耳がゆがんでいるのであろう。ゆがんでいるから言葉がねじけて入って来る。通りが悪い、途中にひっかかる、外情が内達せぬのである。門番にいかがわしい輩がいて、外界の様子をありのままにご主人に知らさないのに等しい」 (『清き耳』丸山敏雄著)
私たちは「見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない」という場合が多くあります。「そのままを聞き、そのままを見る」のです。耳の痛いことでも「そのまま、ありのまま」に聞くのです。まずは何も差し挟まずスナオに受け止めてみましょう。その時、目に映り耳に残るものの奥にある「真実」が浮かび上がってきます。
最後に、正しい情報を得るための最も重要なキーワードは「信」です。自分を信じる「自信」や「信念」、他人を信じる「信用」や「信頼」など、「信」は人間特有のものであり、社会生活を営む上で必要不可欠な倫理・道徳の根幹です。
とくに人間関係には「信用」「信頼」は欠かせない要素であり、職場などの社会的な集団が混乱なく健全に機能するための基本理念です。不信は疑惑を招き、不安を増幅します。そこから情報の不整合や伝達の齟齬も派生します。
「信」に満ちた情報の発信と受信を、あらためて強く銘肝しようではありませんか。
今こそ倫理実践を体現する時である
この度の東日本大震災では、想像を絶する被害が広範囲に及び、被災された方々の物心両面にわたる大きな傷は察して余りあります。心よりお見舞い申し上げると共に、一日でも早く復興への道筋が整い、皆様に笑顔が戻られることをお祈りいたします。
いま日本および世界各地では、復興支援の輪が大きな広がりを見せています。「被災された方々の一助になれば」と、物資の搬入や義援金の提供が個人・企業・団体で展開されています。それは先人たちが連綿と培ってきた尊き習慣が、今回の事態にあって発露しているといえるでしょう。
仏教では、自分以外の他者への様々な施しを「布施」と言います。昨今では、この「布施」という言葉は「葬儀や法要の際に、お寺や僧侶への謝礼として金品を渡す行為」として捉えられているようです。
もともと「布施」は、「財施(ざいせ)」「法施(ほっせ)」「無畏施(むいせ)」の三つに分けられます。
「財施」は金銭や被服などを施す意。
「法施」は仏法を説いて他人の苦しみを取り除き、精神的に支える意。
「無畏施」は「畏れ」をなくしてあげることから転じて、自分の労力を使って他人を勇気づけて負担を軽減する意。
つまり「布施」とは、自分さえよければという我欲や執着から離れて、他者のために自分のできることを精一杯する行為なのです。今こそ本来の意味の「布施」を、一人ひとりが強く念頭に置くべきでしょう。
『万人幸福の栞』第四条「人は鏡、万象はわが師(万象我師)」の冒頭にこうあります。
人は人、自分は自分と、別々のいきものだと考えるところに、人の世のいろいろの不幸がきざす。
また第十六条「己を尊び人に及ぼす(尊己及人)」の一節には次のようにあります。
己を尊ぶの極はささげるにある。ここに人を尊ぶと己を尊ぶと、一如の絶対境が現われる。(中略)人の喜びが、まことのわが喜びである。世と共に喜び、人の悲しみをわが悲しみとする。
この大震災を日本創生へ向かう途上の大事と捉え、自分には何ができるかを考えたいものです。私たちが日々学んでいる倫理を実践に移すのは、まさに今なのです。
今後の復興に際しては、息の長い支援活動が不可欠です。日本の政治・経済・社会活動を、早く本来のあるべき姿に戻すことが求められます。それには不確かな風評に惑わされることなく、今この瞬間に自身の為すべき事柄に精一杯の力を発揮しようとする気概が大切です。私たちにできるその最たるものが「まず自分の会社を健全に経営する」です。それは日本の正常化につながり、被災地復興への貢献となるのです。
今日一日、明日一日と、我が身が生かされている事実に感謝し、安きに流れがちな自己を奮い立たせましょう。持てる力を存分に発揮することから始めて、自らの命を、そして日本を輝かせていきましょう。
恩の自覚をエネルギーに
アイネバー ミート サムライ
(侍に会ったことはない)
この言葉は、イタリア1部リーグ・セリエAの名門ACミランに移籍した本田圭佑選手が、入団会見の際、「日本のサムライ魂とは?」という質問に対して、ジョークを交えた英語での回答です。
その後、「日本男児は決してあきらめない強い忍耐力としっかりと規律を守る精神力を持っています。それは私も常に大事にしたいと思っていますし、そうしたスピリットをピッチで示したいと思います」と続けました。
世界最高峰といわれるリーグでプレーすることを決断した本田選手。鳴り物入りの入団セレモニー後、多くの取材陣を前に、自らの熱い想いを堂々と吐露した会見を覚えている方も多いでしょう。
新たな環境で、常に結果を求められるプレッシャーは想像を絶するものがありますが、出場二戦目でゴールを決めるなど、存在感を強く示し、早くもチームの中心選手として活躍しています。
入団会見での「サムライ魂」と同様の意味合いで使われる言葉に「武士道」があります。この言葉が広く世界で知られるようになったのは、新渡戸稲造がそのものズバリ『武士道』という本を英文で刊行した明治三十三(一九〇〇)年からだといわれます。
出版の経緯は、ベルギーの法学者ラブレーに「日本には宗教教育がないのに、どうやって子供たちに道徳教育をするのか」と問われた際、即答できず、その答えとして「武士道」という伝統的な道徳心が日本にはあることに思い至り、世界に発信するべく英語で刊行したといわれています。
われわれ一人ひとりは「個」の人間として、それぞれの人生を歩んでいます。しかし、自分がここに存在する理由を遡ってみると、そこには数え切れないほど多くの祖先たちが、与えられた環境の中で必死に懸命に生きてきた足跡と、有形無形のさまざまな「恩」に向き合うこととなるでしょう。
四百万部を越えるベストセラーとなり、映画化もされた百田尚樹氏著の『永遠の0』という小説も、自身のルーツを辿りつつ、自らの人生へしっかりと向き合おうとする、現代の若者の心情が鮮やかに描かれています。
「食物も、衣服も、一本のマッチも、わが力でできたのではない。大衆の重畳堆積(つみかさなった)幾百千乗(いくひゃくせんじょう)の恩の中に生きているのが私である。このことを思うと、世のために尽くさずにはおられぬ、人のために働かずにはおられない」 (『万人幸福の栞』十三 丸山敏雄著)
自らのDNAに刻まれた先人たちの良き素養と、多くの「恩」が自覚されると、私たちの身体には無限のエネルギーが沸いてきます。そのエネルギーは、本田選手が日本男児の精神を語ったように、大きな決断をする際に自分を支える大きな力ともなります。
先達から預かった襷(たすき)に、さらに良き生き様を刻み込み、次の世代へ、子孫たちへ受け継ぎたいものです。