ドイツの警句に「猫は美しい王女になっても鼠(ねずみ)を捕ることをやめない」という
言葉があります。習慣がいつしか生来の性質のようになることを示した言葉ですが、
良い習慣を崩すのは簡単でも、悪い習慣から抜け出すことは容易ではありません。
S社長は、ビニールの小袋に入った醤油やソース、プラスチック容器に入ったコーヒーの
シロップなどを使い終わった際、ペロッとなめる癖がありました。
ある日、部下を引き連れ、商談をしていた時のこと。先方の会社でアイスコーヒーが出
されたのですが、シロップを思わずペロリとやったものですから、部下たちは
気恥ずかしい思いをしたそうです。
Y社長は、「イヤ」という言葉から話を始める癖がありました。「イヤ、それはいいでしょう」「イヤ、そう思います」などと、賛意を示す時でさえ、否定を表わす「イヤ」を多用するのです。
その口癖に社員は戸惑い、ある時など、取引先の相手に〈自分の意見を否定された〉と
勘違いされたこともあったといいます。
日本にも「無くて七癖(くせ)あって四十八癖」という諺(ことわざ)があります。
これは、誰でも何かしらの癖があることを示したものです。
癖の原因は、様々な要因が考えられますが、悪しき癖を改めるためには、強い自覚が必要です。「これはよくない、改めよう」と、ハッキリ強く思うことです。
自覚を促し、それを自己革新に活かすためのヒントとして、第一に「苦難を活用する」
ことが挙げられます。先に紹介したY社長は、取引先とのトラブルが、
癖に気がつくきっかけとなりました。
このように、自己革新の第一歩となる「自覚」は、トラブルや苦難から得られることが
多いようです。苦難という「不都合な状況」は、自分自身に何らかの改善を促す貴重な
信号であると捉えることができるでしょう。
第二に「気づく能力を鍛える」ことです。S社長は部下の困惑し態度を察知したからこそ、
癖を改善することができました。
そもそも自分の癖に気づかなければ、改めようがありませんし、自覚も生まれません。
苦難を排斥するものと捉えず、自分に必要なメッセージだと受け止めた時、
自己革新のための正しい情報を得ることができるでしょう。
最後に、第三のポイントとしてあげられるのは「自覚は実行によって完結する」ということです。
年頭にあたり、どなたでも〈今年は…〉と心に期するところがあったことでしょう。
純粋倫理では、そう思ったその時が、自分を変える最も良い時であると捉えます。
その時機を逃さず捉えて、実行に移していく時、自覚は本当の意味で実になっていくのです。
怠け心や、面倒がる気持ちが表われた時こそ、新しい自分に生まれ変わるか否かの分かれ道です。今年一年の決意は、そのスタートである今月の過ごし方いかんにかかっていると心得、日々、
自己革新に挑戦したいものです。
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自分の名前から
留吉という名前の人がいた。彼は自分の名前に不満をもっていた。彼の父親は五人の子を
なしたので、もうこれで最後に止めておこうと、こうした名前をつけたと聞かされたが、
なんとつまらないことだろう。
せっかく仕事を始めても、「もうこれで止め」という声が聞こえてくるような気がする。
飽きっぽい、長続きしない、そうした中途半端な気分になるような感じをもっていた。
だが、こうした留吉の人生にも、大きな転換期がきた。それはある雑誌を読んで、
彼が自分の名前について、大変な考えちがいをしていたと悟った時からだ。
一、子を愛さない親はいない。親は自分に幸あれかしと念じながら名前をつけた。
二、子は親の真意をおしはかり、たとえ気にいらないような点があっても、それをよく解釈して
自覚を新たにしてゆけば、その名前のように人生を有意義にすることができる。
こうした意味のことがらがその雑誌に書かれていたのだ。留吉はなるほどと思った。
そして新しく思い直した。トメは仕事を中途でやめるのではなく、わがままはここで止めという
意味なのだ。わがままはすべてここで止めと、そのつど思い起こして、一貫不怠、
やってやってやりぬくことだ。
このように気持ちを新たにして、「よい名前をつけてくれました」と毎朝晩、親に感謝しながら、仕事にかかるようにした。そうやっていると、飽きっぽくなるようなことはみじんもなくなり、
毎日張り切って働けるようになった。今わがままが出ているな、これを止めようと彼は
何かにつけて気づくことが多くなり、みちがえるような働き手に変わった。現在勤めている工場の係長に抜擢されることも、内定したという。
ここではっきり知っておきたいのは、名前を変えればよくなるといったような安易な考えで
それを実行しても、本当のところは無意味であるということだ。
大切なのは、あくまでも本人の自覚と努力である。自分の名前に対して親の愛情を思って感謝し、名前の中に建設的な意義を見出だしてこれを自覚し、そのように努力すると、
そこから自分の人生はそのとおりに切り開かれてくる。そこに親子の愛と敬とのつながりが、
大きな力となって生きてくる。
二郎とか三郎とかの二、三は、ただ順序を示すだけで何の意味もないという。
一応はそうだといえよう。しかし順序が示されてあるとは、すばらしいことではないか。
その順序を重んじて、それにふさわしく立派に生きようとつとめるところに、
見事な人生が開かれるのではないか。
肝心なのは、たとえどのような名前であろうと、そこに親の愛情を見出だして自覚を新たに、
意義のある人生を築こうと努力することである。
自分の名前から、明るさ、楽しさ、美しさ、面白さ、強さ、柔らかさなど、建設的なものを
見出だすことができればすばらしい。その人の人生は、そのとおりに輝かしいものとなる。
あるいは地味な豊かさを、あるいは静かな落着きを、その名前のように人生は百花撩乱と
咲き乱れているのである。 (『丸山竹秋選集』より)
年の瀬に感謝を深める
今月の「今週の倫理」のテーマは、〈心を整理する〉です。
年の締めくくりにふさわしいテーマですが、逆に、心が整理されていない状態とは、
どのような場合が考えられるでしょう、
例えば、病気になった時や、事業上でトラブルが起こると、心が不安に満たされ、動揺します。
こうした状態は心が整理されているとはいえないでしょう。また、社員が成果を上げられない、
家族が病気やケガに見舞われるなど、平安な状態を崩すような出来事が起きると、
多くの人は心が整理されていない状態になるものです。
そうした出来事が起こらなければいいのですが、人が生きていれば、平安ばかりでは
済まされません。まして経営者であれば、背負うものが大きい分、なおさらでしょう。
ある経営者は、かつてはちょっとしたことでも不安になり、夜も眠れないことが度々
あったそうです。その後、倫理法人会で学び、実践するようになってからは、
夜眠れないということがなくなった、と語ります。
もちろん何も起こらなくなったわけではありません。むしろ、以前よりも厳しい状態に
直面することもありました。それでも、夜眠れたのは、心が整理できていたからに他なりません。では、その変化はどのようにもたらされたのでしょうか。
一つには、そうした招かざる状況をどう受け止めるか、ということがあります。
そのベースにあるのは、純粋倫理の苦難観です。
倫理経営の拠り所である純粋倫理では、「眼前に起こる厳しい状況は、その人を苦しめるために
起きているのではない」と考えます。その真の原因を、当人の心のあり方にまで求めつつ、
「苦難は、その人をより善くし、より向上させるために起こる」と捉えるのです。
ですから、苦難に見舞われても、自らの心の生活を省みつつ、しっかりとその原因と意味を
捉えて、喜んで受け止めることができるのです。
いま一つは、感謝と報恩の心です。こうして事業を継続できるのは、お客様、家族、社員、
取引先など、実に多くの人たちの支えがあるからです。更には、命があるのは、
親祖先あってのことです。
こうした日頃は見逃してしまいがちなことを、当たり前のものではなく「有難いこと」
として感謝を深め、〈その恩に報いることが自分の使命である〉と、受け止めることが
大切なのです。
とりわけて、恐れ、怒り、悲しみ、ねたみ、不足不満の心、それはただに、一切の病気の
原因になっているだけでない。生活を不幸にし、事業を不振にするもとであり、己の不幸を
まねく根本原因であることを知らぬ。 (『万人幸福の栞』)
まもなく新しい年を迎えます。今年一年の苦難を含めた幾多の出来事のお陰で、自分も、わが社も、より善くなれた、また、多くのご恩に支えられてきた、と深く感謝し、心の整理を済ませて、限りない希望を持って新しい年を迎えようではありませんか。
経営のタテ軸を道標に進む
人間は、一日の中で約二万回の選択をしているといわれています。
朝、目が覚めて「起きるか、起きないか」の選択からスタートし、「何を着ていくか」
「朝食を食べるかどうか」など、数えるときりがありません。
また、無意識のレベルでも、五感によって外界の状況をさまざまに取捨選択しているようです。「目や耳は見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いている」という「知覚の選択性」
という働きも考慮すると、取捨選択の回数はさらに増えるでしょう。
日々の軽微な選択だけでなく、時には人生を左右する選択をしなければならない場面もあります。
岐路に立たされた時、人は何を基準に進む道を選ぶのか。Y氏の場合は「難きを選べ」
という言葉を座右の銘としています。
「事が大変になった時、簡単で安易な道を選ぶと一時的に楽にはなるけれども、
長い目で見ると結果としてプラスにならない。道行きに迷った時は、厳しい方向に
向かったほうがいい」と、Y氏は語ります。
『論語』にも、「仁者は難きを先にして獲ることを後にす」(教養のある人は、困難、問題を
先にして行ない、得になるような事は後にする)と、同じような教訓が残されています。
経営者や組織の責任者もまた、選択の連続です。時には会社の命運を左右する選択も
あるでしょう。一つの決断が大きな責任を伴う場合も少なくありません。
経営においては何を選択の基準にしたらよいでしょうか。倫理経営においては、経営の「経」
をタテ軸、「営」をヨコ軸と捉えて、容易に変えない、動かない「経」のタテ軸を拠り所
とすることが大切だと考えています。
「タテ軸とは『道』とか『理』、すなわち時代が変わっても変わらない原理・原則、
あるいは経営の理念や基本方針を指す。迷って方向を失ったときにはすぐさま戻るべき、
経営の原点でもある」
(『倫理経営のすすめ』丸山敏秋著)
経営においては、芯となるしっかりとした縦軸がなければ、問題が起きるたびに右往左往
してしまいます。また、岐路(苦難)に遭遇した時には、明朗な心境でこれを受け止め、
ぶれない縦軸をしっかりと自覚して、自信を持って選択した道を押し進むことが
大切であるとも説いています。
「光明と暗黒の岐路に立った時、毅然として光明の面に向き直って、ひた押しに押し進む。
また岐れ路に立った時、これをくり返す」
(『人類の朝光』丸山敏雄著)
たとえ苦難に直面しても明るく朗らかな心境で前進し続けることで、やがて確固たる判断基準が
心の中に打ちたてられ、信念に基づいた強い突破力が培われていくものです。
それらを磨き高めていくのが、気づいたらすぐ行動に移す「即行」の実践です。まずは、
朝目が覚めたらグズグズせずに、パッと起きる実践から始めましょう。
朝一番のその選択が、より充実した一日を作り上げるのです。
物の整理は心の整理
目課や決まった手順を意味する言葉に、「ルーティン」があります。
昨年のラグビーワールドカップで活躍した五郎丸歩選手の一連の動作は、
キックの精度を高めるために生み出されたルーティンです。重要な局面において、
力を発揮できるように心を整える、五郎丸選手オリジナルの精神統一法といえるでしょう。
ある経営者の体験談です。Sさんは、几帳面で大のきれい好きです。
道端にタバコの吸殻や空き缶が落ちていると、拾って、会社まで持ち帰ることが習慣に
なっていました。
職場でも常に清掃や整理整頓を心がけています。特に意識したのは、共有の場ではトイレ、
洗面所などの水周り、身近なところではパソコン、デスクの引き出し、かばん、
ゴミ箱の中でした。Sさんにとって、清掃や整理整頓は、次の仕事に向けて、
心を整えるルーティンだったのです。
一昨年の夏頃から、Sさんの会社は業績が上向き始めました。忙しさが増す一方、
Sさんは仕事を部下に任せることができず、自分の力を頼りに仕事を抱え込むようになりました。これまでの習慣だった整理整頓をする余裕もなく、Sさんの周辺には、
次第に不要なものが溜まってきたのでした。
その頃から、職場や家庭で異変が起き始めたのです。自社製品へのクレーム、社員の交通事故、
子供の不登校……。立て続けにやってくるトラブルの対処にとても困ったSさんは、初
めて倫理指導を受けました。
事情を話すと、「忙しさを理由に、これまで大切にしていたことを疎かにしていませんか。
また、周りを信じず、自分の力ですべてを解決しようとしていませんか」と問われたのです。
Sさんはハッとしました。これまで行なってきた清掃や整理整頓は、忙しくなると、
いとも簡単に止めてしまうような、上辺だけの実践であったこと、そして〈今がチャンス〉
とばかりに仕事を抱え込み、部下に任せられなかったことは図星だったからです。
ルーティンはむしろ、忙しく、心に余裕がない時ほど必要だったのです。この日を境に、
Sさんは、仕事を溜め込まず、部下を信じて任せることを心に決めました。また、日に一度は、
清掃や整理整頓することを決意しました。
「決心したその時から、肩の力が抜け、何か憑きモノが取れたような感じがします。
無理やり背伸びをしていた自分とサヨナラすることができました」と、Sさんは後に語っています。
Sさんが心と行動の実践を始めて三カ月、社内には以前の清々しい雰囲気が戻ってきました。
そして、職場や家庭での問題事が目に見えてなくなってきたのでした。
物の整理は心の整理といわれます。また、清掃や整理整頓は、
次のスタートを気持ちよく切るきっかけにもなります。
どのような局面でも百パーセントの力を発揮できるよう、物を整えることから、
自分の心の整理にもつなげていきたいものです。