私たちの人生は、時に苦しいこと、辛い出来事に見舞われます。
そのような状況に遭遇したとき、苦境をどのように受け止めるかが解決への糸口となります。
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後に「足なし禅師」と呼ばれた小沢道雄師の生い立ちは過酷なものでした。
師は戦後、厳冬のシベリアに抑留されました。昭和二十一年十一月、シベリアから満州へと
輸送されます。多くの凍死者が出る中、運よく命は助かったものの、凍傷により、
二十五歳で両足を切断。
その後、帰国の途につきますが、〈不具な自分は、周囲の同情と憐れみ蔑みの目を受けたまま、
これからの人生を生きてゆかねばならないのだろうか。そんな人生に何の喜びがあるのだろうか〉と自暴自棄に陥り、生きる希望を失ってしまいました。
次第に、肉親や親戚との面会も避けるようになっていったのです。
師は藁(わら)をもつかむ思いで、観世音菩薩の姿を心に描き、
「どうか私に生きる力をお与えください」と、救いを求め続けました。師、二十七歳の時でした。
そのような生活が数カ月続いたある朝、師の心の奥底から、
ひらめきのような思いが湧き上がってきたのです。
「苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは二十七年前に生まれたということだ。
二十七年前に生まれたことをやめにして、今日生まれたことにするのだ。
両足切断したまま今日生まれたのだ。今日生まれたものには一切がまっさらなのだ」
師はここに、「本日ただいま誕生」との境地に至り、
不幸という現実を冷静に受けとめることができたのです。やがて、日々の生活態度として、
次のように肚(はら)を決めました。
一、微笑を絶やさない。
一、人の話を素直に聞こう。
一、親切にしよう。
一、絶対、怒らない。
その後、師は生涯をかけて、義肢で各地を托鉢行脚しました。師にとっての托鉢とは、
街頭を歩き回るだけを意味するものではありませんでした。
空気も水も光も、天地の恵みをありがたく頂戴することであり、
自分を育ててくれる一切をありがたく頂戴する、すなわち、
生きることの全てが托鉢なのだと著書で語っています。
両足を切断するという不幸に見舞われながらも、師が人生を明るく爽やかに生き抜くことが
できたのは、「本日ただいま誕生」と、今ある状態をそのままに受け入れる心境に
達したからにほかなりません。ここに、私たちが人生における様々な苦境に直面した時の、
心の持ちようのヒントが隠されてはいないでしょうか。
なぜ苦しいのか。それは過去と今を比べたり、人と自分を比べるからではないか。
まっさらに、ただ「これがよいのだ」と受け入れるという心境になれた時、
そこから物事を解決する糸口が見つかるはずです。
師の生き方に学び、幸福になる人生の法則を掴みませんか。
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自分は自分ですね。
私も創業の次の年にリーマンショックにて貯金が無くなり、
保険も解約しほぼ無一文になりました。
その時思ったのが、今が20歳と思い0からのスタートだと自分に言い聞かせました。
4つのこと私も実践します。
カテゴリーアーカイブ: 今週の倫理
人生の肯定と否定
物価はどんどん高くなる。乗りものに乗っても、食堂に行っても、
何を買っても高いという感じが消えない。ストがはじまり、人件費があがり、
そしてまた諸物価にはね返る。
こうした経済上のいやなこと、困ったことなどに直面して、どのような心がまえでいるべきか。
そのほか天災、地変もあれば、泥棒にあったり、病気にかかったり、会社がつぶれたり、
人に裏切られたり、さまざまな問題もある。こうしたすべての出来ごとにたいして、
まず私たちは、どのようにあるべきなのか。
簡潔にいおう。私たちはまず、こうしたものを肯定することだ。よしとして受け入れることだ。しっかと、わが胸に、心に受け止めることである。
といえば、ただちに疑問が湧こう。物価はうなぎ昇りに高くなるままでよいのか。
病気になったら、治さなくてもよいのか。火事にあっても、泥棒に入られても、
それでもよしとじっと我慢するのか。
もちろんそうではない。肯定とか、受けるとかいうのは、
そのままほうっておくというのではない。当然よくもないものはよくないのだし、
直すべきものは、直さねばならぬ。法を犯す者を、
そのままほっておいてよい道理はないのである。
ここに肯定するとは、すべての出来ごとを、まずそのまま捉える、
そのとおりにキャッチするということだ。雨がふったら、その雨降りというできごとを、
正しく受けとめるのである。そして傘をちゃんとさして出かける。嵐になれば、
そのことをそのまま肯定する。そして風を防ぐようにする。雨が降り、風がふいているのに、
そうではないなどと否定したところで、どうしようもあるまい。
すべて原因があって結果が生ずるという因果律の法則は、自然界、
人間界のすべてにあてはまるのであるから、目の前の現象を、まずそのまま肯定し、
受け入れるのでないと、正しく対処することはできない。
台風は起こるべくして起こっているのだから、はじめからこれを否定していると、
正しい措置をとることが難しくなる。私的感情を雨や台風にぶっつけていても、役にたたぬ。
この意味では、あらゆる苦難にたいし、「そう来たか、よろしい、では、こうしよう」
という心がまえで、まずその苦難を肯定し、つぎにどうするかを研究することだ。
これを「よろこんで苦難にあたる」という。苦難をいやがり、きらい、おそれ、
逃げまわるというような否定的態度では、
じつはその苦難によって与えられるべき数々のプラスを失ってしまうことになる。
病気などは人生の最大不幸のひとつだが、病気にかかったら、「この病気にかかった。
よろしい。これも原因があってなったのだから」とまず肯定して、
ではこうしようと心がまえをきめることだ。これに反し、その病気をきらい、おそれ、
心配ばかりして否定していると、ますます病気は重くなり、正しい解決法ができにくくなる。
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自分は、今迄の経験で、困難にあった場合、
まず覚悟を決めること。この事により問題が解決していく。
クレームは敵か味方か
お客様からのクレームや不満は様々です。
「店員を呼んでもなかなかこない。何分待たせるんだよ!」
「Yシャツのボタンが取れやすいじゃないか!」
「こんな髪型にしてと頼んだ覚えはないわ!」
こうした声は、自社のサービスや製品の質を高めるきっかけになります。
信用を維持し、また回復するためにも、真摯な対応が求められます。
飲食店を経営するA社長は、お客様の声を直接聞くために、各店舗に、
社長宛「ご意見ハガキ」を備え付けています。
来店者の生きた声を宝庫と捉え、そのすべてに返信をし、必要な情報を社内で共有し、
活かしています。
また、地元で育つ良質な木材を生活用品として加工・販売しているB社では、
取引先やお客様からの細部に至る要求やクレームに対して
「次のヒントにつながるありがたい情報」と捉え、木工スタッフの技術向上に活かしています。
顧客からのクレームや不満を事業に活かす企業が増えていることに目をつけた森田晋平氏は、
二〇一二年六月、株式会社不満買取センターを立ち上げました。
これは、消費者の不平不満を買い取り、その声を企業に売り込んで、
事業のアイデア探しや商品開発に役立ててもらおうというビジネスです。
不満を売りたい人は、同社のホームページを通じて、
商品やサービスへの不満を投稿します
(ただし、特定の企業や商品を名指しした不満は買い取らないそうです)。
同社は消費者の声を、飲食店や宿泊施設・美容・通信販売などの業種別に分類して、
一千件の不満を載せた冊子にして、企業や自営業者向けに販売しています。
消費者の不満を集めて売る、という発想はユニークです。不満といえば、
とかくマイナスイメージがありますが、
お客様の不満が新しい商品の開発に活かされることを考えると、
顧客満足のための良き材料になるでしょう。
様々なクレームや不満は、できれば聞かずにおきたいと思うものです。大
小問わず、身にふりかかってくる苦難は避けたいと思うのが人の心情でしょう。
いやなこと苦しいことを、どうして喜んで迎えられようか。それは、一応はそうである。
苦難というものは、ひどい顔をし、いやな形をして、苦痛のすがたをとってはいるが、
実は我らの敵ではなくて、味方である。というよりか、一番親身に我がためを思って、
つっかかってくる正義の友である。 (丸山敏雄著『人類の朝光』より)
もちろん、誠実に対応しても、言いがかり的な苦情を浴びせてくる人や、
法に触れるようなクレームもあるでしょう。その場合は、毅然とした対応が必要です。
しかし、いずれにしても、長い目で見ると、それらの対応すべてが担当者を成長させ、
対応マニュアルの見直しやもろもろの改善につながります。
ふりかかるすべてを自社成長の契機としたいものです。
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クレームは誠実に対応して、2度と同じ過ちをおかさぬよう努めます。
何事からも学び、成長します。
その困難には意味がある
AKB48という日本のトップアイドルグループに所属していた指原莉乃さん(22歳)。
平成二十五年六月、「選抜総選挙」というファン投票イベントで一位を獲得しました。
彼女は、前年の総選挙では四位でした。
その直後、福岡県博多で活動するHKT48に移籍となります。
「恋愛禁止」というグループ内のルールを破ったことが発覚したからです。
その際、総合プロデューサーの秋元康氏から「貢献しなさい」と諭されます。
移籍後、指原さんは、当時まだシングルデビューを果たしていなかったグループを
大いに盛り上げ、全国のファンを惹きつけます。その結果、
一度はスキャンダルで引退まで追い詰められた状況から一転、
冒頭の選挙でシングル曲のセンターポジションを勝ち取るに至ったのでした。
指原さんは著書『逆転力~ピンチを待て~』(講談社MOOK)で次のように語っています。
「挫折できてラッキー。私の人生にはピンチが必要なんです。
もっともっと、貢献しなければいけない」
突如、左遷に近い処遇を課せられるという困難の内に、指原さんは
「今は、貢献する時、役立つ時、喜ばれる存在になる時」と、
起きた事象が教える意味を捉えます。そして、新しく加わったグループのメンバーを励まし、
支え、ファンの期待にも応えるという働きによって、
自分の個性が最も輝く生き方を手にしたのでした。
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倫理法人会役員として尽力されている食肉産業店を営むSさん。
平成二十三年六月、資金繰りが悪化し、倒産の危機に立たされます。
倫理経営指導を受けると、父の墓参を通じて、感謝を深めることの大切さを教えられます。
Sさんは墓石の掃除、花を手向け、必死に詫び、応援の要請を亡き父に訴えたのでした。
夜中に飲み歩く、二十年来の生活も改めました。
幾週間後、氏の商品がテレビ放映されるハプニングによって、爆発的な売れ行きとなり、
資金繰りが回復するというドラマが会社を救います。
Sさんはこの一連の経験を通して、亡き父の真の願いに目覚め、愛情を知りました。
倒産の危機そのものが、「父の真の息子となり、途切れていた絆を紡ぎ直すことが必要だ」
と気づくための、刺激として起きた苦しみだったのだと、その意味を解釈したのでした。
紹介した事例に共通しているのは、耐え難いような環境下に自身が置かれた時、
その事象が示唆するメッセージを的確に捉え、改善あるいは向上のための取り組み(実践)
に全身全霊を傾けたことであるといえるでしょう。
純粋倫理では、苦難の意味を知り、原因を取り去り、自然な生活に戻るための実践に挑む時、
これまで人の役に立ってきた努力が報われるというのです。
幸福への活路は、生活の赤信号として知らされるメッセージに勇気を奮い起こして
向き合うことから開かれます。その時、ピンチはチャンスへと昇華されるのです。
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指原さん、若くしてこの心境は素晴らしいです。
普通ならば挫折し身を崩しますね。
ピンチの原因を突き止め、チャンスにします。
直観力を磨き正しき道を見出す
決断力、統率力、調整力…。人間が集団を営んで生きているからでしょうか。
昔から、リーダーが持つべき能力、いわゆる「リーダー論」については、
さかんに論じられてきました。
リーダーが持つべき能力の一つに先を見通す力、すなわち「先見力」があります。
企業経営にとっても、リーダーである経営者の先見力に自社の浮沈がかかっていると
いっても過言ではないでしょう。
ある住宅関連企業の経営者は、先を読むために次の五つを心がけているといいます。
①経済新聞を読み込む(世界、日本の動向を広い視野で確認する)
、②業界新聞を読む(自分が商売をするフィールドの動向を知る)、
③イベント会場などでは何が行なわれているかを知るために会場へ赴く
(消費者の関心を実際に肌で感じる)、
④「未来」「次世代」等、将来予測に関連する全ての単語をキーワードに新刊本を調べる(
識者の見解を知る)、
⑤海外旅行をする(世界の視点から自社を客観する)
実は、このような調査・研究の努力は、先見力にも通じる、ある力を養っていきます。
ある力とは、未だ見ぬチャンスの兆しをつかむ「勘」や「ひらめき」、
「直観」といわれるものです。たとえば、倫理研究所会長・丸山竹秋は、
次のように述べています。
一流の「勝負の鬼」たちが、いかに心をくだいて研究修練に打ちこんでいることか。
研究をバカにしてはいけない。「こうきたらどうする」「ああなったら、どうすればよいか」
などと、人の観察をしたり、まわりに心を配って実行すること、それらを積み重ねているうちに、自ずから勘が働き、直観力がみがかれる。(『丸山竹秋選集』152頁)
日々の仕事に追われて、なかなか研究などに没頭できないという方には、
早朝時間の活用をお勧めします。早朝の時間帯は、自分だけの時間を確保できると共に、
朝の起き方を工夫することで、直観力を高めることができるからです。
朝の目覚めは、「起きよ」という波動をキャッチした気づきの一瞬。
ここで躊躇逡巡することなくサッと起きる習慣を身につけることで、
気づきがよくなってくるのです。
「一葉落ちて天下の秋を知る」という言葉があります。秋に早く落葉する青桐の葉が
一枚落ちるのを見て秋の訪れを察するように、わずかな前兆を見て、
その後に起こるであろう大事をいち早く察知するという意味です。
危険予知やチャンスを予見する瞬間は、意外とこのような日常の些細なことがきっかけで
起こるものでしょう。
この直観力をいざという時に正しく働かせるには、知的な情報収集等の研究、
仕事に関する経験の蓄積、朝起きをはじめとした直観力を磨く訓練と共に、
経営に対する正しい「志」が必要不可欠です。
「正しい」とは、自他共に「よい」ということに他なりません。
自社の経営が、人や社会・国家、そして地球にとって「よい」経営であるかどうか。
そうした経営のあり方を見直し練り直す時、これまで蓄えた力が作動し、
行くべき道を見出していくことができるのです
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直感力・先を読めるよう日々努力します。