ある企業の社長が、間もなく還暦を迎える頃、息子のM氏を後継者とすることを決断しました。
M氏は父から、「一年間、うちの仕入先で修業をしてこい。話はつけてある」と指示されました。
一年後、予定通りM氏は、父の経営する会社に戻りました。
その後、十年の間にさまざまな役職に就きますが、重職に就くほど、
父と衝突するようになりました。父に意見され、叱責されるほど反発は強まり、
やがてプライベートでも会話することがなくなりました。
M氏が社長に就任した後も、父親との衝突は続きました。困ったのは社員たちです。
「会長と社長、どちらの話を聞けばいいのですか」と問われたM氏は、こう答えました。
「もちろん俺の言うことを聞けばいい。あっちは先が長くないから」
その言葉には、先代を尊敬するどころか、父への感謝のかけらもありませんでした。
ある時、M氏は毎週通っていたモーニングセミナーで、
「ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなければ、
世に残るような大業をなし遂げる事はできない」という『万人幸福の栞』の一節を読みました。
この言葉は、M氏の心に波紋のように広がりました。
また講師から、親に考養を尽くすこと、ご先祖のお墓参りをすることの大切さを聞くうちに、父への気持ちに変化が表われてきたのです。
心中によみがえってきたのは、かつて聞いた父の身の上話です。
それは起業したばかりの頃の話でした。
「赤ん坊だったお前を車に乗せて、配達や集金に行ったものだ。配達を終えて車に戻ると、
集金したお金が盗まれていたことがあった。でも、お前は無事だった。
あの時はどんなにホッとしたことか」
「私は、今までお前のためにやってきたんだ。お前の顔を見て、勇気づけられ、
歯を食いしばってやってきたんだよ。お母さんと一緒に…」
その話を聞いた時は、父に何の言葉もかけられませんでした。
しかし、こうして振り返ってみれば、父がどんな思いで自分を育ててくれたのか、
後継者としてどれほど期待をかけてくれていたのかがわかります。
M氏は〈親に考養を尽くし、恩返しできるような息子になろう。会社を発展させ、
社内を活性化させよう〉と決心したのです。
その後、父は他界しました。M氏の会社は何度か大きな危機に見舞われましたが、
そのたびに〈父ならどうしただろう〉と考え、乗り切ってきました。
今は、亡き父の教えを受け継いで、次の後継者にバトンを渡すまで日々成長していこうと
決意しています。
男にとって父親は、ライバルのような存在でもあります。
M氏のように、会社を後継したとなれば尚更でしょう。
〈父を越えたい〉という思いは、成長への活力にもなります。
しかし、恩の自覚なしには、本当の力は湧いてこないでしょう。
この世に生を受けてから、数えきれないほどの恩恵の中で生きている私たちは、
その恩に対し〈ありがたい〉と思える人間になりたいものです。
そして、その最たるものは、自分の命をこのように育んでくれた、親への感謝でしょう。
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今、私が存在するのも、この仕事を続けられるのも両親のお蔭です。
また、日々生活できるのはお客様、仕事をして頂ける
協力業者さん達のお蔭です。
すべての事に感謝です。
カテゴリーアーカイブ: 今週の倫理
大事故がなぜ続く
いったいなぜ近頃は事故が多いのであろうか。もちろんそれには当然ながら原因がある。
偶発的と思われる事故に対しても、人為的、または自然的な原因が必ずあるのである。
悲劇を二度、三度と繰り返さないためにも、起こった事故に対する心がまえは、
しっかりと持っておきたい。それは人を責めたり、攻撃したりする意味ではなくて、
その事故に直接、間接に関係する者が自らをかえりみて、
その事故に対する反省の念をしっかりと持つことである。
物理的な事故原因の追究は、十分に為すべきことはいうまでもない。
それは、当たり前のことである。必要なのはそうしたことの、
もうひとつ根本にあるところを反省することである。
それは事故を生活の赤信号と受けとることである。
平素から何か不自然なやりかたをしていて、それがたとえ、
たいしたものでないように見えても、積もり積もって、ふいに大きな事故を引き起こすのである。
ある会社で新型の乗用車を購入した。若い社員がちょっと練習をしたいからというので、
まあ、いいだろうと許可をした。
ところが、ガソリンを入れにいって帰る途中、岩壁の迫っている溝に落ちこんで、
車体の片側を大破したのであった。購入してわずか五日目のことである。
報告をきいた会社の業務部長は、その管理を受け持っていたので、一瞬憮然としたが、
ただちに次のように反省したのであった。
第一、社長はその青年にまだ運転させる時期ではないという意向であったのに、
その気持ちを十分に尊重せずに運転をさせたこと。
第二、新しく購入した自動車の責任者をはっきりさせなかったことが、よくないこと。
第三、新車に対して十分な配慮をせずに、軽々しい気持ちで扱っていたこと、などである。
その事故を起こした青年は免許証は持っていたけれども、しばらく病気で、
運転をしていないので、危ないと社長は見ていたのである。その社長の判断を軽く見たのが、
配下にある者として間違っていたと部長が反省したのであった。
また一般に、機械とか道具は、それぞれの責任者をつけないと、つい粗末になって、
壊れたりしやすい。大切に扱えば長持ちして、こちらのためによく働いてくれるが、
乱暴に扱うと、すぐに腹を立てて、壊れてしまったりする。さっきの会社の場合も、
このようなことが総合されて、新車が事故を起こしてしまったのであった。
業務部長は以上のように、その事故についての反省をして、やがて修理されてきたその車に対し、その後は適確なやりかたをとったので、事故は起こらなくなった。
この事故に対して社長は社長として、当の青年社員はその立場から、同じく赤信号として、
それぞれにふさわしい反省をしたことはいうまでもない。
そして、それぞれの生活を立て直して業務に打ち込んでいる。
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どんなに小さな道具でも粗末にはせず、大切に扱います。
元点にかえれ!
いつも奇抜な方法ばかりを考えたり、派手なやりかたにうつつをぬかしたりでは、
ほんとうの力を身につけることにはならない。またいつもその日だけのこと、
その時だけのことなどを断片的にやるだけでも、実力にはならない。
地味であろうと、古めかしくあろうと、はじめを思い、もとにかえってやることが、
真の力をつける。これを元点にかえるという。
ふつうには原点と書いているようだ。原はみなもとという意味だ。
岩(厂…がんだれ)の下に泉が湧いている意味だ。元とは、兀…こつ(首、頭)から来ており、はじめの意味である。どちらを書いてもよいが、はじめとか、
もともととかいう意味を強調するならば、元点とかくほうが適切であろう。
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よく創立○周年というような行事がおこなわれる。質素に、また盛大にそれぞれの向きによっておこなわれるようだが、いずれにせよ創立当時のはじめにかえり、その時のことを思いだし、どんな気もちでやったのか、目的は何だったか、またその時の苦労は、そして喜びは…などをあらためて自覚する。これが元点にかえるということだ。
事業でも何でも、時代がすすむにつれて、かえてゆかねばならぬことは、たくさんある。旧態依然としていては、とりのこされてしまう。新しいことは、どしどし取り入れるべきだ。だが、創業の精神が忘れられてしまうと、新しく発展しているようでも、ほんとうの力がでなくなって衰退してしまうか、または、まったく別のものとなり変わる。
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元点にかえり、また新たなスタートを切る。このくりかえしでやっていると、そのつど内容に重みが加わってくる。宙に浮きかかっていた足も地につく。ゆがみかかっていた姿勢も、まっすぐになる。おごらず、高ぶらず、堂々と仕ごとにとり組むこともできる。創立五年、十年、二十年、三十年…と、いよいよ箔がついてくるのである。
国家でも同様だ。建国一周年もよい。しかし年をふるごとに、その建国の精神を失わずに、そのつど元点にかえって前進してゆくとき、五十年、百年、五百年、千年と、その厚味を加え、深味を増しつつ、いやが上にもその光彩をかがやかせる。
それは国の面積の大小、人口の多少などにかかわりなく、重厚味のある独特の魅力となってますます他国の尊敬をうけるようになる。
個人でも同様だ。自分自身に何か記念になるようなことが起こったとき、それをチャンスに元点にかえるようにする。誕生日などはそのひとつであろう。この生命が両親を通じてこの地上にあらわれ出た日。その時の記憶はもちろん、さだかではないとしても、自分の生命をこのようにはぐくんでくれた親に、祖先に、そして世話になった人々に感謝の意をあらわす。生命のもとに感謝するとは、つまり元点にかえることだ。
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キョウエイホームは創業7年になります。
元点を忘れず、創業の精神でコツコツ努力し実力をつけていきます。
親思う心にまさる親心
成功の条件には、いろいろな要因がありますが、
その一つは、成功するまで諦めないことです。一度の失敗で諦めてしまえば「失敗」のままですが、成功するまで継続すれば、失敗は「成功までのステップ」となります。
継続する力こそ成功の基盤。それは仕事のみならず、人生全般においても同様でしょう。
では、継続する力を得る秘訣はどこにあるのでしょう。『万人幸福の栞』には、何事においても「本」を忘れないという意識が大切だと説かれています。
「終始一貫ということは、成功の秘訣であるが、これが出来ないのは皆、本を忘れるからである」
ここで述べられている「本」とは、両親、祖先、兄弟姉妹、親類縁者、師、友人、上司、同僚、取引先、顧客など多くの人々や、衣食住に代表される様々な物資、自然の恵み(太陽、空気、大地、火、水…)のことです。
中でも、本につながる第一歩として最も相応しいのは、両親の存在でしょう。
命の根元である父親、母親のことを深く知るところから、本につながる心が豊かに育まれていきます。
ただ、「両親に感謝したくてもできない」という人もいるかもしれません。親に可愛がられた記憶がない、親に自分の人生を台無しにされた、父母のことは思い出したくもない…。感謝どころか、恨む気持ちを払拭できないまま、今日まで来た方もいるでしょう。
長い時間をかけて蓄積された親へのマイナスの感情は、一足飛びには変わらないかもしれません。そうした場合、これまでと違った視点で、親の心情を汲み取っていく作業が必要になります。その一つとして、たとえば、自分の人生を親の視点で振り返ってみてはいかがでしょう。
自分が生まれた時、学校に入学した時、卒業した時、反抗期、就職した時、病気をした時…。人生における様々な節目を、親の目線で振り返る。もし自分に子供がいるなら、親としての実感を重ね合わせながら、思いを馳せてみる。
〈今の自分と同じように、父も自分の成長を喜んでくれたのか〉〈あの時母はどれだけ悲しんだのだろうか〉と、少しずつ思いをたぐり寄せていく中で、これまでとは違った親の心情に触れることができるはずです。やがて、親の愛情を理屈ではなく実感として感じることができるでしょう。
幕末に活躍した吉田松陰は、二十九歳で処刑される前に、「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何ときくらん」という辞世の句を詠みました。「親思う心にまさる親心」とは、「子が親を思う気持ち以上に、親が子を思う気持ちは強い」というものです。
親から与えられた様々な恩恵を自覚し、その思いを胸に行動することは、困難を乗り切る知恵となり、失敗しても諦めない気力を湧き立たせるでしょう。
「おかげさまです。ありがとうございます」という感謝の気持ちを深めて、人生そのものを成功へと導いていきたいものです。
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両親、ご先祖様のお蔭で今の自分がいます。
今でも心配をかけ続け、親孝行はできませんが、
感謝の気持ちはイッパイです。
いついつまでも感謝の気持ちは忘れず日々努力します。
夫婦関係こそ発展の源
S氏は、住宅設備の設置と販売業を営んでいます。
今では堅実な経営を心がけているS氏ですが、かつては経営難に苦しんでいました。
苦境を何とか打開しようと知人に相談をしたところ、返ってきたのは意外な答えでした。
それは、妻や子供に呼ばれたらすぐに「ハイ」と返事をする実践でした。
経営のことで悩んでいるのに、なぜ家庭生活のことを言われたのか、不思議に思ったS氏ですが、
たしかに家で「ハイ」と返事をすることはありませんでした。
それどころか、夫婦の会話すらほとんどない状況だったのです。
それまでのS氏は、家事育児はすべて妻に任せきり、何か問題が起こっても、無関心を決め込んでいました。
家庭を顧みない夫に、いつしか妻も関心を向けなくなり、夫への不足不満を子供にぶつけているような有様でした。
夫婦仲は冷え切っていたので、「ハイ」と返事をするのはとても無理なように思えました。
しかし、ほかに打開策があるわけではありません。S氏は家庭内での実践に必死に励みました。
呼ばれると「ハイ」と返事をする夫に、最初は不思議そうな妻でしたが、次第に夫婦で挨拶を交わす機会が増えてきました。
途切れ途切れだった会話も、少しずつ続くようになってきました。
妻の話に耳を傾け、妻の悩みや大変さにも気づくようになったS氏は、〈
自分は何と家庭を顧みない夫であったか〉と反省しました。
そして、夫婦仲が改善するのと呼応するように、会社の業績も徐々に回復していったのです。
夫婦の間のことは企業とは直接関係がないようだが、その実、大いに結びつきがある。
夫婦関係がごたごたしていたり、家庭内別居のような関係にあったりしていると、その事業がうまくゆかないことが多い。
(丸山敏秋著『倫理経営原典』より)
家庭生活と事業経営はひとつながりです。家族を喜ばせ、楽しませることができない経営者が、
はたして従業員や取引先の人たちの心を掴み、喜びを提供することができるでしょうか。
さらに踏み込んで、とりわけ夫婦のありようがそのまま事業に反映するというのが純粋倫理の考え方です。
なぜなら、「夫婦」という相反する二つの力が溶け合って一つになった時に、あらゆる物事の生成発展があるからです。
男女には、正反対のようなところが沢山あります。会話一つとってみても、男性は結論を先に話し、
女性は一から順を追って話す傾向があるといわれます。そうした違いを認めた上で相手を受け入れること。
そして、自分から進んで妻に(夫に)心を合わせていった時、新たな創造が生まれます。
事業の繁栄もまた、相反する夫婦の和合から生まれるのです。
事業の発展に、夫婦仲の良いことは欠かせません。経営者は家庭人でもあります。
夫の自覚、妻の自覚を高め、それぞれの役割をしっかり果たすところに、経営への活力も漲ってくるのでしょう。