木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月29日 「マーケットは自ら創りだすもの」
「本当の経営は、すでにマーケットがあって、それから果実を
もぎ取るような、そんなものではない」と、幸之助はいつも厳
しく叱っていました。
マーケットは与えられるものではなく、奪い合うものでもない。
未開の原野を切り拓くものです。そこに成功の扉が待ってい
るのです。
田を耕し、肥料を入れて、手を入れて、初めてマーケットは
出来あがるのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月29日 「マーケットは自ら創りだすもの」
「本当の経営は、すでにマーケットがあって、それから果実を
もぎ取るような、そんなものではない」と、幸之助はいつも厳
しく叱っていました。
マーケットは与えられるものではなく、奪い合うものでもない。
未開の原野を切り拓くものです。そこに成功の扉が待ってい
るのです。
田を耕し、肥料を入れて、手を入れて、初めてマーケットは
出来あがるのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月28日 「お得意先に教えてもらった」
幸之助は、創業当初、自ら商品を研究・開発し、自ら製造し、自ら
販売にあたっていました。
「木野君、商売とはうまく出来てるで。僕は電気のことはまったく素
人だったので、これ、なんぼで売ったらいいのでしょうか。問屋さん
のご主人や番頭さんに教えてもらって、商売してきたんや。その時、
商売のコツを会得したのは、君、真実を訴えるということやったで」
これが、松下電器の当初の商法でありました。
そして、この真実を訴えるという考え方が、経営の神様を創ったの
です。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月27日 「経営のコツ、ここなりと気づいた価値は百万両」
昭和8年5月、38歳の時、自主責任の経営を進めるため、日
本で初めての事業部制に踏み切った松下幸之助は、さらに翌
9年の元旦に、従業員への新年のお年玉として、この言葉を贈
りました。
それは、企業経営の根幹は、いつに従業員の創意工夫にある
ことと、従業員一人ひとりが経営意識をもって、仕事に取り組む
ことの大事さを教えたもので、永遠に変わらない松下の基本的
な考え方の一つとなっています。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月26日 「絶望という言葉ほど、恐ろしいものはない」
絶望と思った瞬間に、真っ逆さまに奈落の底に落ちていく。
「君が人生に失望しても、『人生が君に絶望しない』という格言があるじゃない
か」と、幸之助はいつも私を救ってくれました。
「世の中が君を必要としているのだ」と、勇気づけてくれました。
この言葉でどれだけ立ちなおったかしれません。幸之助は絶望を希望に変え
る達人でした。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月25日 「限界はない。限界はどこにあるの」
限界は自分だけが決めているもの。
限界は、人間が挑戦するためにあるもの。
限界を破るため、最善を尽くす。そこに、真の人間の生きがいがあるのです。
その「最善の上に、最善がある」というのが、幸之助の信念でした。
それ程、人間は素晴らしい存在なのです。