木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月20日 「人間が変わるとは」
人間が変わるとは、自分自身が変わることです。
自分の一念を変えることです。
一念の変革は、未知の世界を切り拓きます。
立ち止まってしまえば、そこで終わりです。
最後まで、貫き通す指導者の一念で決まるのです。
幸之助は「一念の変革は、想像を絶する大きな変化を呼び起こすのだ」
と言っています。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月20日 「人間が変わるとは」
人間が変わるとは、自分自身が変わることです。
自分の一念を変えることです。
一念の変革は、未知の世界を切り拓きます。
立ち止まってしまえば、そこで終わりです。
最後まで、貫き通す指導者の一念で決まるのです。
幸之助は「一念の変革は、想像を絶する大きな変化を呼び起こすのだ」
と言っています。
昨年末、映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』が封切られました。山本の初陣は一九〇五年(明治三十八年)の日本海海戦です。五月二十七日十三時五十五分、東郷平八郎率いる連合艦隊旗艦「三笠」のマストに、「皇国の興廃この一戦にあり。各員奮励努力せよ」との意を込め、「Z旗(ゼットき)」が掲げられ、「日本海海戦」の火ぶたが切られました。
「Z」はアルファベットの最後の文字であり、後がないという決死の覚悟を託した「旗」でした。日本海軍は、重要な海戦の度に、この旗を掲げることを慣例化したのです。
このように「旗」には意味や機能があります。ゴルフではグリーン上のカップの位置を示し、旅行の際に添乗員が持つ手旗などは、遠くからでも視認されやすくする機能を果たしています。手旗信号や船舶の旗、降参の意味を持つ白旗、弔意を表わす半旗、選手を激励する応援旗などは、情報や意思の伝達手段としての意味があります。優勝旗は、成果や実績の表彰や順位を示すものであり、国旗や社旗は、所属する団体や集団の識別の役割もあります。旗は心の拠りどころであり、組織としてのアイデンティティともなるのです。
倫理法人会では、正法人会設立時に「倫理法人会行動旗」が倫理研究所より授与されますが、併せて「『行動旗』授与にあたって」というメッセージが添えられています。
「正倫理法人会としての証である『行動旗』は、創始者丸山敏雄の遺影の前で、普及本部 法人局員参加のもとに『入魂式』を執り行ないました。本日、入魂式で奏上した『祈誓の言葉』の一端をご紹介するとともに、この行動旗に込められた願いと、会場に行動旗を掲げる意義をご斟酌くだされば幸甚です」
さらに続けて、丸山敏雄に対する「祈誓の言葉」が付されます。
「この行動旗は 倫理運動の大きなうねりにより 変化興亡の激しい時代の中 岐路に立たされた日本を創造的に かつ大きな希望を抱き再生すべく 地域の活性浄化を牽引する倫理法人会の象徴として お渡しするものです 乞い願わくば 丸山敏雄先生におかれましては 純粋倫理の学習と実践に勤しむ拠点に掲げられるこの行動旗に 瑞々しい『いのち』を吹きこみ 倫理経営に専心する会員企業が 一社でも増大し 地域の活性化ひいては日本創生に大きく寄与貢献できますよう 何卒 よろしくご教導ください」
純粋倫理の根幹をなす「七つの原理」の一つ「物境不離の原理」は、環境、場とそこに存在する物、事象の関係、見えないもの、形なきものを形ある象徴として表わす、「物」との関係です。行動旗は「地域の活性浄化を牽引する倫理法人会の象徴」として、多くの魂が込められている倫理法人会の証なのです。
「旗はその典型でしょう。国旗は、その国のシンボルです。オリンピックの優勝者の表彰式で、国家の演奏とともに国旗が高々と掲揚される時、勝者はもちろん、国民が感動的に胸を熱くします。模様の印刷された一枚の布切れが、国民の精神的な象徴と化すのです」
(丸山敏秋著『七つの原理』)
倫理法人会の行動旗はもとより、国旗、社旗、そして社章やバッジ、マーク、看板にも、形のない理念や願いが込められています。同様に社名や氏名にも、企業体や両親の「願い」が込められています。
形なきものや見えないものにも力は宿っています。見えないものを知ることにより、見えない力が湧き上がってくるのです。
人生は出会いと別れの連続です。その出会いは、人であり仕事であり、ある時は商品や技術などの場合もあります。
しかし出会いは、自分にとって必ずしもプラスの場合だけでなく、人生をも狂わせるマイナスの場合もあります。
思い出せば頭が下がり、あの人のお陰で今の自分があると、ただただ感謝で一杯の出会いがあります。逆に、思うだけで苦々しさが込み上げる出会いもあります。なぜ自分はあの話に乗ったのだろう。あの話に乗らなければ、こんな人生を歩んでいなかったのに…という悔恨の出会いです。
▽
Sさんは極貧の家庭に生まれました。兄弟が多く、食べるだけで精一杯の家庭の中で、小さい頃はいつもお腹をすかし、一日に三度の食事をとることが夢でした。働き手の一人として親からは期待され、満足な教育を受けられないまま、中学校を卒業して社会へと巣立っていったのです。
お金になる仕事は何でもしました。少しでも給与が高いところに転職を繰り返し、〈世の中は金がすべてだ〉と割り切って生きてきたのです。お金がたまると不思議と人が寄ってきて、なけなしの金を騙し取られることも少なくありませんでした。
三十歳の時に所帯を持ち土建関連の小さな請け負いを始めました。夫婦で昼夜を問わず骨身を削り、どんな仕事でも必死で取り組みました。最初は人も金も物も、ましてや信用も実績もないSさんでしたが、周囲もSさんの働きぶりを見て少しずつ仕事を回してくれるようになり、信用もついてくるようになりました。
好況を追い風として、それなりに会社は大きくなっていきました。すると、今まで言葉もまともにかけてこなかった人間が忍び寄ってきては、Sさんをもてはやすのです。「Sさんは若い頃より何かやる人物だと思っていたが、さすがにたいしたものだ」と褒めちぎり、「社長、社長」と持ち上げるのです。いつしかSさんは、仕事そっちのけで夜の世界へと足を踏み込んでいくようになりました。
妻が「このままでは会社はダメになってしまいます。今週に落とさなければならない手形のお金もありません」と言っても、「金は天下のまわりもの」とうそぶき、金をまるで親の敵のように扱うのでした。心ある人がSさんに「積み上げてきた実績が台無しになるぞ」と忠告をしても、まったく耳を傾けることはありませんでした。
そのうち会社は倒産し、大きな負債を抱える末路となりました。「社長、社長」とはやし立てていた連中も一人去り二人去り、気づいた時は誰もいませんでした。妻は子供を連れて家を出て行き、Sさんは一人取り残され、現在は再起に向け黙々と努力している最中です。
良い出会い、悪い出会いは、すべて自分が招くといってもいいでしょう。同じものを見聞きしても、それをチャンスと見るか、それとも手を出すべきでないと見るかは、すべてその人自身にかかっています。
常に脇を締め、少しでも世のため人のために役に立とうという心を持つ時にこそ、不思議と良き出会いが生じます。そこに道が拓けるものと信じて、今という時を喜んで進もうではありませんか。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月19日 「人は足を踏み入れたことのない原野をもっている」
人は誰でも足を踏み入れたことのない原野をもっているものです。
幸之助は「人の心が、この原野を開拓するのだ」と言っています。
それが事業なのです。
一人の人間の無限ともいえる可能性を、認めることから出発すれ
ば、この見えない原野が見えてくるのです。
指導者は自分や部下の原野を開拓していく責任があるのです。
私たち人間は、個々人の「考え方」というものが、その生き方に影響を与えます。
例えば「夫婦は仲良く協力することがいい」という考え方は、「共に暮らす」というライフスタイルを選ばせます。人は〈何が良いことなのか〉を考え、それに従って行動を決定していきます。その「良いこと」の価値基準は国や地域によって異なります。
日本人の倫理観は、自然を愛した古代日本人の心情を基調とし、その後、伝来した『論語』などの言葉を当てはめて説明されます。
①古代においては、太陽を崇拝し、自然と共に生きる大らかな考え方が人々の倫理観の中心でした。
②奈良・平安時代に入ると、鎮護国家として、仏教を持って国家を治めるようになり、仏教思想が人々の倫理観に大きく影響を与えていきました。
③江戸時代には、儒教のひとつである朱子学を中心に仏教や神道などの影響を強く受けて倫理観が形成されていきます。武士道では「努力」「忍耐」といった修業的性格を美徳としていました。庶民間では「石門心学」といった商人道徳が栄え、町人としての経験を踏まえた倫理観が浸透していきました。
④明治以降、西洋の価値観が移入され、思想の混乱期を迎えます。日本人としての生き方や倫理観を明確に示す必要に迫られ、政府は教育勅語を日本人の倫理観として学校で教えました。
⑤戦後においては、無意識的に伝統的道徳に従って行動していると考えられており、日本人の倫理観を形成しています。しかし現在、伝統的な倫理観が喪失した状態であることに警鐘が鳴らされています。
日本人の倫理観の変遷には素晴らしいものがありますが、弱点もあったのです。倫理研究所創立者・丸山敏雄はその弱点を、「最も重大なことは、道徳と幸不幸と一致せぬ、ということ」(『万人幸福の栞』)と指摘しています。
ドイツの大哲学者カントは、人間の行なう善悪と幸不幸の一致は、この世において求められないと主張しました。どれほどの善を行なおうと、またどれほどの悪を行なおうと、幸福になるか不幸になるかとは、結びつかないというのです。
しかし丸山敏雄はそれに異を唱えました。道徳と幸福が一致〈徳福一致〉する生活法則を「発掘」することで、最高善を追求していったのです。 生活法則は、次第に姿、形を整えてきました。やがて敗戦を機に、丸山敏雄はその生活法則を世に示し、道義の再建を期した社会教育運動、すなわち倫理運動を推進する決意を固めたのです。
丸山敏雄が追い求めた「最高善」とは何でしょうか。それは「いつ、どこで、誰が、どのように行なっても、人を幸福にし、己も幸福になる善」のことです。そして悪しき習慣として、「例えば、心配しながら、結果を予想しながら、事に当たるといったようなことである。(中略)しかし、こんな心持でした事は、必ず結果がよくない」と述べています。
真に正しいこととは、まず自分が救われ、それと一緒に人が救われることです。自分の掲げた燈火によって人をもまた救う。世の中を光明に導く火(善)を追い求めたいものです。