木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月30日 「人間だけに与えられた無限の宝」
「感謝の心、奉仕の心は、人間だけに与えられた無限の宝だと思う。
今日一日、この宝で、ありがとう経営に徹したい」
事業経営で大切なのは、心の高貴さです。
どんなに才能があっても心が貧しくては成功しないのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月30日 「人間だけに与えられた無限の宝」
「感謝の心、奉仕の心は、人間だけに与えられた無限の宝だと思う。
今日一日、この宝で、ありがとう経営に徹したい」
事業経営で大切なのは、心の高貴さです。
どんなに才能があっても心が貧しくては成功しないのです。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
4月30日 「徳を以て」
師弟朋友皆徳を以て交はる者なり。挟む所あるべからず。 安政3年5月29日「講孟劄記」
【訳】
先生と弟子、友達同士、みなそれぞれ人徳をもって交際しているのである。自分の身分や地位などを心にたのみ鼻にかけるべきではない。
短歌は、五七五七七の三十一
文字からなる、日本の伝統文化の一つです。喜びも悲しみも偽らず、誇張せず、そのまま、ありのままを言葉で表現します。
短歌づくりを始めて、十年が経つMさん。結婚後、四人の子供に恵まれたMさんは、子供の成長を歌に詠んできました。
幼子のつかまり立ちの練習にアイロン台はほど良い高さ
これは、生後十カ月でつかまり立ちを覚え始めた三男の愛くるしい姿を詠んだ歌です。
ライダーに変身をした幼子は強くなったと兄に歯向かう
三歳の次男が、仮面ライダーの変身ベルトを装着し、兄と触れ合う姿を表現しました。
幼子の父の日に書いた似顔絵は点々のヒゲと右手にビール
当時五歳だった長女からの贈り物。その嬉しさを詠んだ歌です。
幼子の背中で踊るランドセル
春の日差しにキラリ輝く
小学校に入学した長男。弾む足取りで、真新しいランドセルを背
負い通学する姿を表現しました。
家庭内の日常を短歌に詠み続けて、Mさんは、子供一人ひとりの個性を実感できるようになりました。「その個性を伸ばしてあげることこそが親の役目だ」と、Mさんは感じています。
*
倫理研究所が行なっている文化事業の一つに、「しきなみ短歌会」があります。倫理運動の創始者・丸山敏雄が、昭和二十一年三月に創立しました。
現在、「しきなみ短歌会」の支苑数は、全国で三四五。月刊誌『しきなみ』には、毎月五千二百名近くの投稿者があり、日本の短歌結社誌では、出詠数トップとなっています。
個性の発揚、生活の浄化には、種々の道があるであろう。ここにわれらは、短歌を得た。短歌は、われらの祖先が、最初に築きあげた芸術であり、今日残されて居る初期のものでも、すばらしい高さに達している。(中
略)文学の形式として、このよ
うな長い生命をもっているものは、外にないといわれる。実にわが国はえぬきの、また独得の平明簡素な詩形である。
(丸山敏雄『作歌の書』より)
短歌を通じて、生活の浄化と個性の発揚を目指すところが、しきなみ短歌の大きな特色です。
短歌を詠むにはまず「じっと見る」ことから始まります。仕事で忙しく、子供たちと接する時間も少ないMさんでしたが、短歌をきっかけに、子供たちをじっと見るようになりました。
「毎日の生活を改めて見直してみると、そこに美しさが満ち溢れていることがわかる」と丸山敏雄は説いています。短歌づくりを機に子供たちの成長を知り、ありのままの良さを見つけられるようになったMさん。家族に限らず、周囲の人や物に対しても、感動をしたり、感謝をしたりすることが多くなったといいます。
短歌は、ありのままを言葉で表現することで、自らの心を磨く実践なのです。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
4月28日 「万事自ら」
※文王を待ちて而る後に興る者は凡民なり。夫の豪傑の士の若きは文王なしと雖も猶ほ興る。凡民と豪傑の分を明かに知るべし。豪傑とは万事自ら創して敢へて人の轍跡を践まぬことなり。 安政3年5月17日「講孟劄記」
【訳】
文王のような心のある立派な王の指導を受け、その後で意気を奮い起こすようなものは凡民、一般の民衆である。豪傑、つまり傑出した人物というものは、文王の指導を受けなくても、みずからの力で興起するものである。凡民と豪傑との違いをはっきりと知るべきである。武勇にすぐれ肝っ玉のすわっている人は何事も自分で創意工夫するものであり、決して他人の行った真似などはしないものである。
※?~紀元前11世紀ごろ。 中国の周朝の始祖。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月29日 「信用をつくる」
「君、信用が商売発展の基礎やいうこと覚えときや」
若い私に幸之助が教えてくれたことです。
ファクシミリの成功は、この信用を重んじたことから出来上がった
のです。
幸之助は自分だけよければいいというような経営者ではありません。
全世界の人たちのために尽くす経営が信用を生んだのです。
ファクシミリの国際企画が出来たのは幸之助のこの一念からです。