苦難の本質はどこにあるのか

倫理法人会では、「拡充」をキーワードに掲げた改革が進行中です。
「日本創生」十万社体制にふさわしい組織の構築が狙いですが、その核心は、倫理経営実践者の増加にほかなりません。
事業や家庭での苦難を、倫理実践による自己革新で大きく好転させ、元気な会社、より良い家庭が増えていけば地域が変わります。人が変わり、地域が変わり、やがて日本が変わる――これが日本創生の道筋でしょう。
 しかし、実践に踏み出すのは、たやすいことではありません。実践とはそれまでの日常や生き方を変えていくことですが、人は変わることをあまり好みません。〈変わりたい〉〈成長したい〉と願う反面、どこかで〈このままでよい〉とも思っているものです。
そういう意味で、避けることのできない苦難こそ、実は、自分が変わらざるを得ないチャンスを与えてくれているのです。

起きてきた苦難を契機に自分を変えようとする時、単に苦境を脱するに留まらず、自分をより良く成長させていく糧とするには、いくつかのコツがあります。
 一つは、「苦難に真正面から向き合う」ことです。起きてきた苦難に及び腰になったり、早く解決しようと焦ったり、解決を先送りにしがちですが、どれも解決への遠回りです。最短コースは、真正面から向きあうしかないのです。
 二つ目は、「苦難の本質を見極める」こと。苦難には、必ず原因があり、意味があります。純粋倫理に照らして苦難の原因を探ると、本質的な解決の根っこは、その人の心にあります。それを見極めていくことこそが、対症療法的な苦難脱却に留まらず、自身をより成長させることにつながるのです。
 三つ目は、「一つひとつ正しく切り開いていく」ことです。苦難の本質を見極めた上で、正しい実践を行なっていくということです。
 ある経営者が会社の業績悪化について倫理指導を受けたところ、「夫婦の信頼関係を再構築すること」と言われました。一見すると、夫婦仲と経営は、かけ離れているように思えます。経営者も困惑しました。
しかし、「会社経営も夫婦の心が一致しているか否かにかかっているのですよ」との言葉に実践を決意して、行動に移していきました。妻の話に耳を傾け、妻に心を向けていく中で、〈夫婦の心も合わせられずに何が経営か〉と気づかされます。〈妻の支えがあったからこそ、ここまでこれたのだ〉と感謝の思いが溢れていった時、時を同じくして、経営状況も不思議と好転していったのです。
心は目に見えないものです。人と人とのつながりも目に見えません。苦難の表面的な現象に惑わされることなく、目には見えない本質を見抜く眼力と、それに立ち向かう強くしなやかな心に磨きをかけ、勇気を奮って実践に励んでまいりましょう。

純粋倫理は人生の案内役である

徳島県で測量会社を営む松本コンサルタント会長の松本忠氏は、事業・家庭に課題が発生する度に倫理指導を受け、倫理経営を実践して自社企業の継続発展に尽力してきました。
 昭和四十六年に会社を創業し、平成十六年に社長職を譲るまで、第一線で走り続けてきました。
 創業当初、仕事は順調でしたが、経営面では苦難の連続でした。取引先のほとんどが公共事業であるため、発注者からの入金は作業完了後となり、それも年にまとめて2~3回の入金です。仕事をすればするほど経費や給与を賄う資金繰りに苦心する毎日。経理担当である妻の苦悩は重なり、さらに石油危機で仕事が減り、同業者との競争も激しくなってきた頃、藁にもすがる思いで出合ったのが純粋倫理でした。
 資金繰り、従業員の入退社の繰り返し、交通事故や仕事上のミスなどトラブルが続いていることに対して、「夫婦愛和の生活に立ち返ること」「順序を守ること」のアドバイスを受け、即実践します。会社の中心である自分の家庭生活がぶれていては物事が進まないことを実感したのです。
 また、作業をしている現場の社員に対する心構えとして、「社長自身の心の緊張を常に緩めないこと」とアドバイスを受けます。経営者自身が緊張感を保つ生活を送り、常に社員に心を向ける大切さを教わり、それを実行しました。その後、会社が拡大し社員が増えても、事故やトラブルは減り、社内が安定した方向に向かっていきます。
「決めた支払日には必ず約束通り、請求書通り払うこと」「心に思うことが明るく、前向きであれば行動も良くなる」など、数えれば切りがないほどの倫理指導とその実践により状況は一変しました。さらに周年行事や朝礼の実施で会社の一体化が図られました。
 倫理運動の創始者・丸山敏雄は著書の中で、事業が成就するまでの法則を示しています。
事業の倫理
①目的…人の為、世の為になる
②準備…関係者全ての精神の一致
③順序…順序は間違っていないか
④方法…喜んで前向きな方法で進める
⑤始末…挨拶状・区切りは出来たか
『サラリーマンと経営者の心得』を参照
 松本氏はこれまで受けた倫理指導はこの法則に則っているのだと気づいたのです。
 二代目社長の松本祐一氏より「創業時の思いや倫理経営の実践体験を自叙伝として残しませんか」と提案され、『私の履歴書』がアニバ出版より刊行されました。
 同社の社員はこの著書から「創業の精神」を理解し、企業理念を共有しています。
松本氏の著書にある「倫理経営は気付きと実践の積み重ねです。素直に学び実行すれば本物となり結果が出ます」という言葉に学び、純粋倫理を人生の案内役にしたいものです。

身近な物や道具に心を通わせましょう

私たちは多くの物や道具に囲まれて生活をしています。日々の生活を助け、仕事を助けてくれる「物」に対して、どのような心持ちで接しているでしょうか?
工務店を営んでいるN氏は、自分が使う物や道具の手入れを欠かしません。仕事前には故障が無いか入念にチェックし、「今日一日お願いします」と語りかけて仕事に取り掛かります。仕事が終われば「今日一日ありがとうございました」と言いながら、道具の手入れをし、元の位置に戻す等、後始末を徹底しています。
しかし、以前はそうではなかったとN氏はいいます。「切断機の調子が悪い」とぼやいては、粗末に扱い、ノコギリやドライバーもメンテナンスをしないため、すぐに錆びついてしまいます。
その結果、仕事が遅れがちになり、工期にも間に合わず、工務店の評判は一気に落ちていったのです。
仕事が減るにしたがって、イライラすることが増え、物に八つ当たりするようになりました。切断された破片が飛んできて体に当たるなど、怪我が頻発するようにもなりました。その度に仕事を休むことになり、悪循環に陥いってしまったのです。
〈このままでは仕事がなくなるかもしれない〉と危機感を募らせたN氏は、ある朝のモーニングセミナー終了後、倫理指導を受けることにしました。これまでの経緯を伝えると、講師に「あなたは物や道具を大切にしていませんね」とズバリと指摘され、N氏はドキッとしました。
講師からのアドバイスは「物を大切に扱うこと」「後始末の徹底」の二点でした。
〈こんなことで経営状況が良くなるのか〉と半信半疑ながらも、使用前使用後に道具の点検をすると故障が減っていきました。道具の調子が良くなり、自身のイライラやあせりがなくなって、納期内に仕上げることはもちろん、仕事も丁寧になりました。業績も次第に回復していきました。
N氏は実践を通して、これまで物や道具に心を通わせていなかったことを反省し、人と接するのと同じように労わりを持って物を扱おうと決意しました。 
倫理運動の創始者・丸山敏雄は物にも心があり、人と同じように物に接することが大切であると述べています。では、具体的にはどのような心持ちで接すればよいのでしょうか。それには以下のような心がけが必要です。
①喜んで受ける ②心をこめて大切に扱う
③物の由来を知る ④その物の良さを知る
⑤礼をつくす ⑥十分にはたらかす
⑦管理を十分にする ⑧死蔵しない
⑨後始末をする
『倫理経営のすすめ』
仕事や生活を助けてくれる物や道具に対して感謝するとともに、心の豊かさを身につけていきたいものです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

4月4日 「人の話を聞いて成長するもんや」

「君なぁ、人間というもんは、人に会って人の話を聞いて、成長
するものや。
人を育て、人を生かすという事は、人の話を聞くことから始まる
のやで。だから、人の話はよく聞くものや。
僕の耳は、人の話を聞くたびに、だんだん大きくなったんや」と、
幸之助は大きな耳を動かせて見せました。

衆知を集める経営のポイントは人の話を素直に聞くことからは
じまるのです。

まず一歩、踏み出さなければ始まらない

倫理運動がスタートしたのは、戦後まもなくです。戦後の混乱の中、丸山敏雄が訴えた純粋倫理の生活法則とは、どのようなものだったのでしょう。それは「守れば幸福になり、はずれればきっと不幸になるという、新しい絶対倫理を打ち立てること」でした。
ここでは、「新しい」「絶対倫理」と表現しています。新しいとは、それまで常識とされていた道徳や倫理と比べての表現です。
一般的な道徳の致命的な欠陥は、「道徳と幸不幸が必ずしも一致しない」ことでした。正直者が必ず幸福に暮らせるとは限らない。守っても、実際の生活上の効果はわかりづらい。むしろ守ると損をすることもある――それでは誰も守ろうとはしないでしょう。
そのような道徳・倫理とは一線を画す意味で、純粋倫理は「新しく」と表現されました。そして、実行すれば必ず幸せになれるという点で「絶対倫理」とも呼ばれました。
純粋倫理を実証する過程において、丸山敏雄は、科学と同様「実験」によって証明していく手法をとりました。
実験とは、実際にやってみることです。その実験による研究の手がかりとしたものが「苦難」です。病気や災難、家族の関係、対人問題、経営不振など、人生の中でさまざまに起こる苦難があるからこそ、正しい倫理(みち)がはっきりわかるというのです。
ここに苦難に見舞われた人がいるとしよう。研究者は、邪念妄想なき心境でその人が受けている苦難の原因を直感し、これを相手に告げる。相手は、指摘された原因を除くための実践に素直に取り組む。その結果、苦難は解決する(かどうか)、という実験である。            『丸山敏雄伝』
倫理研究所が発行する『新世』には、毎月二本の「体験記」が寄稿されます。体験とは、苦難を機に実際に倫理を実践してみて、それでどうなったのか、という生きた報告です。
たとえば、十二月号には熊本県で菊栽培業を営むMさんの体験が掲載されています。
Mさんは菊の栽培が軌道に乗らず、精神的にも経済的にも厳しい状況に追い込まれている中で、純粋倫理と出合いました。先に倫理を学んでいた妻に勧められて講習を受講し、〈自分も実践すれば何か変われるかもしれない〉と、一歩を踏み出しました。
親を喜ばせることを一番に考え、実際に行動に移していったところ、少しずつ心のもやもやが晴れていきました。妻の名前を呼んで挨拶を交わし、夫婦で公衆トイレの清掃にも取り組みました。
〈家族みんなが健康で協力してくれるからこの仕事ができる〉と、感謝の思いが深まる中で、Mさんの菊は品評会で最優秀賞を獲得したのです。気がつけば、仕事そのものを天職だと思えるようになっていました。
ポイントは、理屈ではなく実際にやってみることです。実験してみることです。苦難が転じて福となす生活の法則を、皆さんも実験されてはいかがでしょうか。