『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

「大才能の人は」

君子の人を教ふるは、人君の人を用ふると異なることなし。
人を用ふるの法、大才能の人は始めより大任重職を命ず。
而して其の人亦自ら奮厲し、大いに其の忠思を舒ぶること、猶ほ時雨の化するが如し。
若し大才能の人を瑣事賤役に役使すれば、其の人必ず厭怠して之れが用たらず。
教も亦然り。 安政3年5月29日「講孟劄記」

【訳】

心ある立派な人が人を教えるというのは、殿様が人を任用することとちがいはない。
人を任用する方法は、すばらしい才能をもっている人には、
最初から大きな低務や重 要な職を命じる。すると、
その人は更に自分から発奮して、大いに(殿に対する)忠なる思いを発揮するであろう。
それは、時雨が自然に天地の万物を生じ育てること と一緒である。
もしも、すばらしい才能をもった人をつまらない仕事や使役などに使えば、
その人は必ず嫌気を起こし、役に立たなくなってしまう。人を教えるということもまた同様である。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

「天下の理勢明白的切」

人の父を敬すれば、我が父を敬す。人の兄を敬すれば、人我が兄を敬す。
天下の理勢明白的切、斯くの如し。  安政3年6月4日「講孟劄記」

【訳】

人の父を敬えば、(その人は)私の父を敬ってくれる。人の兄を敬えば
、私の兄を敬ってくれる。人の世のなりゆきというものは、明らかで疑う余地がなく、
全く人情と一致している。まさにこのようなものである。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

「豈に人に由らざらんや」

忠孝仁義の訓は経籍にあれども、其の躬行心得に至りては豈に人に由らざらんや。  安政3年6月4日「講孟劄記」

【訳】
忠孝仁義という教えは、儒学の経典にはあるが、それをみずから実際に行い、
心に刻むということは、どうして人によらないことがあろうか。ありはしない。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

「進むこと鋭き物は」

其の進むこと鋭き者は、其の退くこと速かなりと。已むべきに於て却つて已めず、薄くする所に於て却つて厚くする者、一旦の奮激にてすることにして、真に誠よ り発し終始衰へざる者に非ず。故に其の進鋭の時に方りては、已めざる者も厚き者も或いは及ばざることあり。而して其の退くの速かなる、時去り勢変じ、索然跡なき に至る。 
安政3年5月29日「講孟劄記」

【訳】
調子よく進むものは、退くことも早いという。やめるべき時にやめず、ほどほどでいい時に、かえって手厚くするものは、一時的な感激で行っているだけである。本当まごころから行い、ずっと(その気持ちが)衰えないものではない。だから、その調子よく進めている時には、やめられないものも、手厚くするものも、(心ある人で も)とても及ばないように見える。しかしながら、(そのような調子のいい人間は)退く素早さといえば、時勢が去り、勢いが変われば、全く跡形もなくなるようなものだ。
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川口雅昭氏編  致知出版

『吉田松陰一日一言』

―魂を鼓舞する感奮語録―

「碩学鉅師あらば」

 

学政必ずしも改めず、唯だ碩学鉅師あらば文興らざるを得ず、材士良兵あらば武隆ならざるを得ず。 安政2年7月「獄舎問答」

【訳】

教育にかかわる行政を必ずしも改めることはない。ただ、大学者や真摯に学問をしようとする先生がおれば、学問というものは盛んにならないことはない。また、才能があり、心ある武士がいれば、武道が盛んにならないことはない。