川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
「何か心得になるほんなりとも」
正月にはいづくにもつまらぬ遊事をするものに候間、夫れよりは何か心得になるほんなりとも読んでもらひ候へ。 安政元年12月3日「※妹千代あて書翰」
【訳】
お正月にはどこでもつまらない遊びをするものである。そんなことより何かためになる本でも読んでもらいなさい。
※杉家の長女で、松陰より二歳年少の妹。一番仲がよく、終生、松陰の世話をしたといわれる。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
「何か心得になるほんなりとも」
正月にはいづくにもつまらぬ遊事をするものに候間、夫れよりは何か心得になるほんなりとも読んでもらひ候へ。 安政元年12月3日「※妹千代あて書翰」
【訳】
お正月にはどこでもつまらない遊びをするものである。そんなことより何かためになる本でも読んでもらいなさい。
※杉家の長女で、松陰より二歳年少の妹。一番仲がよく、終生、松陰の世話をしたといわれる。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
「独り身之に坐せん」
※1貫高の「事成らば王に帰し、事敗れなば独り身之に坐せん」とは、僕素より掲げて佳話と為す。 安政6年正月5日「※2士毅に与ふ」
【訳】
僕は、貫高の、「国家のための企てが成功すれば王様の手柄とし、失敗すれば、自分一人が罪に服す」という話を、以前からすばらしいと考えている。
※1 ~前198。中国、前漢の臣。趙の丞相。これは漢の高祖暗殺実行に際し、趙王に述べた言葉。
※2 長州藩士小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹 寿が嫁いだ。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
5月10日 「それもまたよしホトトギス」
鳴かずんば、殺してしまえホトトギス(信長)
鳴かずんば、鳴かせてみようホトトギス(秀吉)
鳴かずんば、鳴くまで待とうホトトギス(家康)
幸之助は、「鳴かずんば、それもまたよしホトトギス」
と詠みました。
世の中すべて、ありのまま、とらわれず、偏らず、
こだわらず、素直に生きる大切さを教えてくれたのです。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
「人の禽獣に異なる所以」 ひとのきんじゅうにことなるゆえん
凡そ生まれて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。蓋し人には五倫あり。而して君臣父子を最も大なりと為す。 安政2年3月「士規七則」
【訳】
だいたい、人間としてこの世に生を受けたのであれば、当然、人間が鳥や獣とちがうというわけを知るべきである。まさしく、人間には五倫、つまり、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信という、人の常に守るべき五つのありようがある。その中でも君臣と父子のあり方が最も大切なものである。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
「松下陋村と雖も」 しょうかろうそんといえども
※松下陋村と雖も、誓つて神国の幹とならん。 安政5年12月冬「村塾の壁に留題す」
【訳】
松本村はひなびた一寒村ではあるが、必ずや日本国の骨幹となろう。
※松陰の生まれ育ったふるさと松本村。ちなみに、松下村塾とは、「松下=まつもと」で、松本村の塾という意味といわれる。