木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
6月3日 「心配りの行き届いた仕事」
幸之助は、「心配りの行き届いた仕事は、一朝一夕には
生み出せない。やはり日ごろの訓練や躾(しつけ)がもの
をいう」と、社員の教育に力を入れていました。
宮本武蔵は、千回の稽古を「鍛」と言い、万回の稽古を「錬」
と言って修行しました。
だから、武蔵はピンチに立っても無敗だったのです。
経営には、剣豪のような研ぎ澄まされた、経営の勘が大切です。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
6月3日 「心配りの行き届いた仕事」
幸之助は、「心配りの行き届いた仕事は、一朝一夕には
生み出せない。やはり日ごろの訓練や躾(しつけ)がもの
をいう」と、社員の教育に力を入れていました。
宮本武蔵は、千回の稽古を「鍛」と言い、万回の稽古を「錬」
と言って修行しました。
だから、武蔵はピンチに立っても無敗だったのです。
経営には、剣豪のような研ぎ澄まされた、経営の勘が大切です。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
6月2日 「自ら励むことは中十年にある」
大凡十歳前後より四十歳比迄、三十余年中学問を勤む。而して其の最も自ら励むことは中十年にあるなり。 安政3年8月以降「武教全書講録」
【訳】
だいたい、十歳前後から四十歳頃まで、三十余年間はずっと学問をするべきである。そして、その中で、最も自分から精進すべきは中の十年間にある。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
6月2日 「自由自在な智慧も出てこない」
「窮屈な枠の中で、窮屈なものの考え方をしていては、
心の働きも鈍くなり、自由自在な智慧も出てこない」
私が松下通信工業株式会社東京営業所長になった時、
いただいた言葉です。
窮地は常にある。それを乗り越えていくところに、経営の
妙味があるのです。
矛盾を矛盾としない、経営の自由度を360度にすれば、
生命の美しい花は咲くのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
6月1日 「大きなことと、小さなこと」
「木野君、成功する人は日々の些細なことに注意を払い、
基本を遵守するという二つの側面を持っているものだ」
これも幸之助に強く教えられたことの一つです。
仕事に成功するには、小さなことと、大きなことの基本的
な考え方の二つが大切です。
平凡なことを疎かにしたり、小さな事柄を馬鹿にしたりし
ていては、成功は逃げて行ってしまうのです。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
「武士たる者は」
敬は乃ち備なり。武士道には是れを覚悟と云ふ。論語に「門を出でては大賓を見るが如し」と云ふ。是れ敬を説くなり。※呉子に「門を出づるより敵を見るが如くす」と云ふ。是れ備を説くなり。竝びに皆覚悟の道なり。敬・備は怠の反対にて、怠は即ち油断なり。武士たる者は行住坐臥常に覚悟ありて油断なき如くすべしとなり。 安政3年8月以降「武教全書講録」
【訳】
敬うとは備えることである。武士道ではこれを覚悟という。『論語』に、「わが家の門を出て他人に接する時には、高貴の客人を見る時のように敬しみなさい」という。これが敬を説いている。『呉子』に、「門を出た時から、敵を見るようにしなさい」という。これは備えを説いている。共に、覚悟のあり方である。敬うことと備えることは怠るということの反対であり、怠るとは、つまり油断である。武士というものは、日常の起居動作において、常に覚悟をし、油断のないようにすべきである、ということである。
※中国の春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。『孫子』と並び称される。