『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

10月14日 「大器は遅く成るの理にて」

万事速やかに成れば堅固ならず、大器は遅く成るの理にて、
躁敷き事にては大成も長久も相成らざる事に之れあるべく候。 
嘉永元年10月4日「明倫館御再興に付き気付書」

【訳】

何事もなく順調に成長した人物は、意志が強く、他人に簡単に惑わされないかというと、そうでもない。
立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するのが道理であって、
騒々しい状態ではホンモノの立派な人物になることはない。

回り道、過ぎてみれば自分の道
と自分に言い聞かせています。
大器晩成 そうありたい。

責任のがれはやめよ

人間にとって、もっとも大切なのは、自分が仕事を通じて、健全な社会の建設のために、
どれほど貢献しているか、ということである。とくに父親は、この道をまっすぐに進む必要がある。
 父親がそうした気持ちで、ひたむきに働くとき、その状態は妻である母親に影響し、わが子にも反映する。
父親がフラフラしていると、子どももフラフラするのである。父親の心意や行動は子どもに反映する。
それは共にいる時間の長短に関係ない。親と子は目に見えないところで深く強くつながりあっているのであるから、
子どもがみていないからといって、子どもに教えるべきしつけと反対のことを父親がしていると、
それを目撃していないはずの子どもが、父親と同じことをいつのまにか行なっている。
 わが子は見えないところで自分を見ている、わが子のいないところでも、
わが子をしつけることができるという信念ではたらくのがほんとうだ。
またたとえ、仕事で忙しくわが子と接する時間が少なくても、たったひとこと、子どもに、
「こうしなさいよ」と言ってやるだけで、ピンと子どもに響くのである。
いつも一緒にいて、くどくどと同じことを繰り返して言っているだけがしつけではない。
 百の説教より一つの実行。百の注意より一つのすすめ。こういったことの方が、効果は大きいのだ。
父親はほとんど実行しないでいるくせに、母親のせいにして妻に子どもを叱らせるようなことは、もっとも下手な教育である。
 子どもがほんとうに社会に尽くし、社会のためになる働きをする人間になるかどうか。他
人になるべく迷惑をかけないような、しっかりした人間になるかどうか。その教育の責任の半分は父親にある。
いや半分どころではない。すべての責任は父親にあると自覚するのが、まことの父親の愛情である。
妻の欠点のすべてを抱き、暖かくわが家をつつむのが夫の愛情だ。
「いっさいの責任は自分にある」と大手を広げて受けて立つ。
そこに一家の愛和の基礎がある。こうした愛情をもって、職場においても、いつも子どもが見ているぞとの信念で働く。
それがほんとうの父親なのである。
 夫(父親)としては妻(母親)に責めを負わせないという度量と確信で、力いっぱいその日を働きぬく。
そこにあふれるような喜びが、しかも高く、清らかな楽しさが湧いてくるのではないか。
そして子どものすること、なすこと、すべてわが責任であるから、「今日もしっかり勉強し、そして元気いっぱいに遊べ」と、
自分の仕事にうちこんでゆく。そこに何ともいえぬ生活の歓喜がにじみ出てくるのだ。
 ドンと来い! などという真骨頂は、そうしたところにある。
 世の父親たる者、もっとこの人生を力いっぱい活躍し、生きぬいていこうではないか。

自分の人生のまわりに起こりうる事の全てが、自分の行動の結果である。
自分が源。その思いで日々ド真剣に生きていきます。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

10月13日 「事業の原点」

「事業の原点は、どうしたら売れるかではなく、どうしたら喜んで
もらえるかである」

幸之助は、世の中の要請(SOS)をどう解決するか、今までなか
ったものを、新たにどう創り出すかに、事業の目的があると考え
ていました。

そのことに命をかけて闘ったから経営の神様になったのです。

キョウエイホームはお客様のお困り事の解決
なによりもお客様の喜びを追及します。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

10月13日 「国を安んぜん」

徒に身を衛ることを知る者、安んぞ能く国を安んぜんや。  嘉永元年7月中旬「剣の説」

【訳】

何の意味もないのに、保身ばかりに走るものは、どうして国を守ることができようか。できはしない。

この命、多くの人々の幸せのために使えれれば幸せです。

 吉田松陰一日一言

川口雅昭氏編  致知出版
 吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

10月12日 「己れより」

禍福天より降るに非ず、神より出づるに非ず、己れより求めざる者なしとなり。 安政2年7月29日「講孟劄記」

【訳】

禍や幸せは天から降ってくるのではない。神様から出てくるのでもない。自分から求めないものはないという。

「切に思うことは必ずとぐるなり」
 夢を追いかけます。