川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
11月9日 「友に負くも」
国を憂へて友に負くも、友を愛して国に負かんや。 安政6年正月23日「※子遠に与ふる俗牘の後に書す」
【訳】
国家を憂えて、友に背くことがあったとしても、どうして友を愛して、国家に背こうか。背きはしない。
※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
11月9日 「友に負くも」
国を憂へて友に負くも、友を愛して国に負かんや。 安政6年正月23日「※子遠に与ふる俗牘の後に書す」
【訳】
国家を憂えて、友に背くことがあったとしても、どうして友を愛して、国家に背こうか。背きはしない。
※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月8日 「実行せなあかん」
「木野君、考え過ぎが一番だめや。ほどほどにしてまず実行し
てみることやな」
幸之助はものごとをよく考え抜いた人でした。
しかし、それ以上に自分を信じて実行した人だったのです。
私の人生を振り返ってみても、当たって砕けろの心意気で再建
を果たしたことを思い出します。
よく考えることは大事です。
でも、それ以上に実行すること、ここに松下経営学があるのです。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
11月8日 「ならぬといふはなきものを」
何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり
嘉永4年8月17日「父叔父あて書翰」
【訳】
何事にあっても、できないということはない。できないというのは、やらないだけで
ある。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月7日 「苦労はつきもの」
「木野君な、100人の部下がいれば100の苦労があり、
千人の人を使えば千の苦労があるということ、覚悟せなあかんで」
と、よく言われました。
実際いろいろな部下を指導する立場の時、この言葉を戒めにして
辛抱したものです。
社員を使うと思うと、問題が起きるものです。
社員はかけがいのないビジネスパートナーです。
そう思えば、苦労もまた楽しくなるものです。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
11月7日 「涵育薫陶して其の自ら化するを俟つ」
養の一字最も心を付けて看るべし。註に、養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなりと云ふ。
涵はひたすなり、綿を水にてひたす意なり。育は小児を乳にてそだつる意なり。
薫は香をふすべ込むなり。陶は土器を灶にて焼き堅むるなり。
人を養ふも此の四つの者の如くにて、不中不才の人を縄にて縛り杖にて策うち、
一朝一夕に中ならしめ才ならしめんとには非ず。
仁義道徳の中に沐浴させて、覚えず知らず善に移り悪に遠ざかり、旧染の汙自ら化するを待つことなり。
是れ人の父兄たる道にして、父兄のみにあらず、人の上となりて政を施すも、
人の師となりて教えを施すも、一の養の字を深く味ふべし。 安政2年11月11日「講孟剳記」
【訳】
「養」の一字に最も心をつけて、みるべきである。
(※朱子の)註に、「養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなり」といっている
。涵はひたすことである。綿を水でひたすという意味である。育は小児を乳で育てるという意味である。
薫は香を炊き込めることである。陶は土器をかまどで焼き固めることである。
人を育てる場合にも、この四つのように、自然に行うべきである。
中庸の徳のない人、才能のない人を、縄で縛り上げ、杖で打ち、わずかの間に中庸の徳をつけ、
才能のある人物にしようとするものではない。そういう人々を、
仁義道徳の中にひたして、自らは気づかず、知らない内に、善に移り、悪から遠ざけ、
もとから染みついていた悪い汚れが、自然に善に変わっていくのをまつべきである。
これは人の父兄だけではなく、人の上に立って政治を執る上でも、また、人の先生となって、教える場合でも、
「養」という一字を深く味わうべきである。
※1130~1200 中国宋代の儒教者。朱子学の創始者