どのような気持ちか

映画俳優の高倉健さんが、今月十日に亡くなりました。
八十三歳でした。
高倉さんは、半世紀以上に亘り映画俳優として活躍。
『網走番外地』シリーズや『日本任客伝』シリーズ、『幸福の黄色いハンカチ』など、
日本映画史に残る数々の作品に出演し、第一回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞をはじめ、
多くの映画賞を受賞。二〇〇六年度文化功労者、二〇一三年には文化勲章を受章しました。
「最後の映画スター」として多くの人々から慕われ、敬意を払われた八十三年間の生涯でした。
高倉さんは、一度決めたことを終始一貫やり続ける人でもありました。
健康管理のための筋力トレーニングや血糖値の測定は毎日欠かさず行なっていたそうです。
「撮影現場での休憩中は椅子に腰掛けない」という逸話も残っています。
また、映画『八甲田山』の撮影の際に禁煙を決意して以来、一日に八十本吸っていた煙草もぴたっと止めました。
そうした厳しい姿勢は「自分がこの仕事に就いたときからのプライドであり、自らに課したこと」と、高倉さんは生前語っておられます。
倫理実践においても、「一つのことをやり続ける」というのは、成功への大切な要諦です。
しかし、「実践」を続けていくうちに、いつの間にか「習慣」になり、成長や変化が乏しくなることがあります。
倫理実践は、続けることに加えて「どのような心持ちで取り組んでいるか」に注意を払うことも大切なのです。
仕事の都合で毎朝四時に起きている人がいます。
〈今日も気持ちよく目が覚めて、一日分のいのちをいただけた。このいのちを世の為人の為にしっかり働かせるぞ〉
と前向きに起きている人もいれば、
〈もう朝が来てしまった。毎日四時起きで、なかなか疲れが取れない〉と心の中で嘆きながら目覚める人もいます。
行為としては、同じ早起きですが、どのような気持ちで起きているかによって、その行為が「実践」なのか「習慣」なのか違いが出てきます。
当然、その日一日の過ごし方も違ってくるでしょう。
やり始めはつらい実践も、数カ月も実行すれば自然と身につくものです。
ただし、何も考えずに実行できる「習慣」になってしまうと、その行為から心が離れ、もはや「実践」とは呼べなくなるのです。
そして、怠け心が顔を出し、いつの間にか行為そのものをやめてしまうことにつながります。
〈今、自分はどんな気持ちで実践しているのだろう〉と常に自分に問い続け、心の伴った「実践」を続けてまいりましょう。
さて、本紙「今週の倫理」は、会員の皆様のご愛読のお陰で、今号で九〇〇号を迎えることができました。
一九九七年九月の第一号発行から一七年、九百週間休むことなく身近な倫理実践を発信し続けてきました。
今後もマンネリに陥らずに、皆様に喜んでいただける紙面づくりに心を込めて、週に一回の発信を続けてまいります。

マンネリ化した習慣にならぬよう、自分に問いかけ実践を積み重ねます。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

11月20日 「自動販売機と同じ」

品物を売って、代金をいただくだけなら、自動販売機と同じです。
これは幸之助の変わらぬ信念です。
お客様と心を通わす、物心一如の商売こそ、真の商売です。
商売は、機械で出来るものではありません。
答えは一つではないのです。心のみが、人の心を動かすのです。
商いは心です。喜びと、新しい変化を相手に与えてこそ、
本当の商売と言えるのです。
お客様と心を通わせてこそ、真の商売です。

お客様から喜んで頂けるよう努力します。
決して物を売る機械にならぬよう。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

11月20日 「天下才なきに非ず」

天下才なきに非ず、用ふる人なきのみ、哀しいかな。  
 安政2年7月14日「※小田村伊之助あての書翰」

【訳】

世間に才能のある人がいないのではない。それを用いる人がいないだけである。何とも悲しいことである。

※ 長州藩士 小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹 寿が嫁いだ。

人の長所を見出しそして育て、輝かさられればいいですね。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

11月19日 「人を動かす」

幸之助は社員をとても大切にしました。
「社員が多くなればなっただけその分の心配を背負うのが社長の役目や」と、
常々言っていました。
そして私を励ますように
「しかしな、辛く苦しいがそこに指導者の生きがいがある」と諭されました。
叱るべき時は叱り、いたわるべきところはいたわる。
寛厳、よろしく導いて行くところに、人間の真の成長があるのです。