吉田松陰を学ぶ

吉田松陰を学ぶ

12月16日
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畏るべきかな書や/吉田松陰一日一言

読書最(もっと)も能(よ)く人を移(うつ)す。
畏るべきかな書。

安政六年四月十四日「野村和作あて書翰」

【訳】
読書というものは、最もよく人の心を変えるものである。
書というものは、何と恐るべきものだなあ。

12月15日

吉田松陰を学ぶ

12月15日
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雪中の松柏愈々青々たり②/吉田松陰一日一言

人才(じんさい)も亦(また)然(しか)り。
少年軽鋭(けいえい)、鬱蒼(うつそう)喜ぶべき者甚(はなは)だ衆(おお)し。
然(しか)れども艱難困苦(かんなんこんく)を経(ふ)るに従(したが)ひ、英気頽廃(えいきたいはい)して一俗物(いちぞくぶつ)となる者少なからず。
唯(た)だ真の志士は此(こ)の処(ところ)に於(おい)て愈々(いよいよ)激昂(げっこう)して、遂(つい)に才を成すなり。
故に霜雪(そうせつ)は桃李(とうり)の凋(しぼ)む所以(ゆえん)、則(すなわ)ち松柏(しょうはく)の実(じつ)する所以なり。
艱苦(かんく)は軽鋭(けいえい)の頽(すたる)る所以、則ち志士の激する所以なりとあり。
是(こ)れ亦全文を諳(そらん)ぜず、大意(たいい)斯(か)くの如(ごと)し、
今吾(わ)れ不才(ふさい)と云(い)へども象山の徒(と)にして、亦(また)徐氏(じょし)の文を読む。
豈(あ)に桃李に伍(ご)して松柏に咲(わら)はれんや。
当(まさ)に琢磨淬励(たくまさいれい)して連城・干将(かんしょう)となるべきのみ。

安政三年四月十五日「講孟箚記」

【訳】
人間の才能もまた同じ事である。少年の中には、すばしつこくて強く、気も満ちており、喜ぶべき者は大変多い。
しかしながら、辛いことや困難なことを経験するにつれ、そのようなすばらしさがなくなってしまい、全くだめな人間になってしまう者も少なくない。
ただ、本当に大きな志をもっている人は、このような状態になったら、ますます気持ちを奮い立たせ、ついにはもって生まれた才能を完成させるのである。
とすれば、霜雪は桃李が枯れる原因であり、また、松柏が完成する原因である。
また、艱苦は人の鋭い気性がだめになる原因であり、同時に志のある人が激しく奮い立つ原因なのである」と。
全文を覚えているわけではないが、大体の意味は以上のようであった。
今、私は才能のないものではあるが、佐久間象山先生の教えをいただいたものであり、また、徐氏の文章を読むものである。
どうして、桃李などの仲間になって、松柏に笑われてよかろうか。
そんなことではいけない。
まさに我が身を磨き、鍛え上げて、名玉の「連城」や名剣である「干将」のようにならねばならない。

吉田松陰を学ぶ

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12月14日
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雪中の松柏愈々青々たり①/吉田松陰一日一言

天の将に大任を是(こ)の人に降(くだ)さんとするや、必(かなら)ず先(ま)づ其(そ)の心志(しんし)を苦しめ、其(そ)の筋骨(きんこく)を労(ろう)せしめ、其(そ)の体膚(たいふ)を飢(う)ゑしめ、其の身を空乏(くうぼう)にし、行其(ぎょうそ)の為す所に払乱(ふつらん)す。心を動(うご)かし性を忍び、其の能(よ)くせざる所を曾益(そうえき)せしむる益(えき)せしむる所以(ゆえん)なり。
孟子本文

余(よ)野山獄(のやまごく)に在(あ)る時、友人土屋松如(つちやしょじょ)、居易堂集(きょいどうしゅう:明の遺臣俟斎徐枋(しさいじょほう)の著)を貸し示す。其の中に「濡生次耕(はんせいじこう)に与ふる書」あり。
才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意(たいい)謂(おも)へらく、天の才を生ずる多けれども、才を成すこと難(かた)し。譬(たと)へば春夏の草木花葉(そうもくかよう)欝蒼(うっそう)たるが如(ごと)き、是(こ)れ才を生ずるなり。
然(しか)れども桃李(とうり)の如(ごと)きは、秋冬(しゅうとう)の霜雪(そうせつ)に逢(あ)ひて皆(みな)零落凋傷(れいらくちょうしょう)す。独り松柏(しょうはく)は然(しか)らず、雪中(せちゅう)の松柏(ようはく)愈々(いよいよ)相青々(せいせい)たり。是れ才を成すなり。

【訳】
天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を飢ゑしめ、其の身を空乏にし、行其の為す所に払乱す。心を動かし性を忍び、其の能くせざる所を曾易せしむる所以なり(天が重要な任務をある人に与えようとする時には、必ずまずその人の心や志を苦しめ、その体を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その衣食を乏しくして困らせ、また、こうしようという意図とは違うようにするものである。これは、天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くして、これまでできなかったこともできるようにしようとするための試練である)。
孟子本文
私が野山獄にいる時、友人である土屋松如が、「居易堂集』〈明の遺臣侯斎徐坊の著〉を貸してくれた。その中に、「潘生次耕に与ふる書」というものがあった。それは、才能を生じ、才能をなすということが論じられていた。その大体の意味は、次のようであった。「天が才能を人に与えることは多いが、その才能を自分のものとして、完成させることは難しい。才能を与えるとは、例えていえば、春や夏に草木の花や葉が青々と盛んに茂るようなもので、これが才能を生じるというものである。しかし、桃や李などは、秋や冬の霜や雪にあえば、みな枯れ落ちてしまう。ただ、松や柏(かしわ)だけはそうではなく、雪の中でも益々青々とそのみどりを保っている。これが才能を完成させるということである。
安政三年四月十五日「講孟割記」

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

12月19日 「社長の喜び」

幸之助は非常に神経質で繊細な方でしたが、社員に対しては
いつも幸せだけを願う人でした。
ある時、こう言われたことがあります。
「社長の喜びは賞与を渡すときや。ガバッと渡すと、もらう方も
ウワッと受け取る。共に喜ぶ社員の顔を見るのが経営者の
一番の醍醐味や。そういう経営をせなあかんで」
東方電機の問題解決は、この考え方を教えてもらったからです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

12月18日 「三人の仕事を二人で」

幸之助は社員を大事にするだけでなく、物心両面の豊かさが
が大事だと考えていました。
「人間は精神的満足だけではあかん。生活があるんやから、
給料もガバッと出さなあかん。その為には、三人の仕事を二人で
やったらええんや」
つまり、創業者はバランス感覚が優れた人でした。
だから、会社の生産性をあげていったら、いくらでも給料は
高く払っていけると考えていたのです。