『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

1月8日 常に「一商人たるの観念」を忘れず

「松下電器が将来いかに大をなすとも、
常に一商人の観念を忘れず、従業員また、
その店員たることを自覚して、質実謙譲を
旨として、業務に処すること」

業務の拡大、業容の拡大によって経営が
放漫になり、人におごりの心の生ずることを、
強く戒めた「社内基本内規第十五条」です。

現在も、一日として忘れることなく、謙謙服用されています。

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常に初心を忘れず・創業の精神も忘れません。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

1月8日 「我が志を行はんのみ」 

吾れは我が志を行はんのみ。  
安政6年3月5日頃「※福原又四郎に復す」

【訳】

私は私の志していることを行うのみである。

※長州藩士。松陰の親友 来原良三の甥。松下村塾の門人。

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私も自分の夢の実現へ向け歩みます。

アジア丸のタグボート

あなたは先を見ることが、どのくらいできるのか。先を見なければ、計画も企画もできない。
しかし実はこれがなかなかむつかしい時が多い。見ることができないこともある。よく見える時もある。
だが、それでおもしろいのだ。見えなくて。ビシャンとたたかれ、泣きたくなることもある。
だがそれが、よいのである。ただ泣いているだけでは、意味がないではないか。
 先のこととは、時間的、空間的にいえる。いつ、どこで、である。
 大切なのは、先のことばかりではない。もっとも重大なのは、今どうすべきか、である。
これをはっきりさせてこそ、いのちをみなぎらせることができる。
そのために先のことを想い、目標をはっきりさせるのである。目標がなければ、歩けないではないか。
先を見るその目安は、つぎのことがらである。
第一、地球全体の安泰健全発展を地球人すべて、もっとも真剣に考えること。
理由、地球の生態系が破壊され、大気、山、海が異常化されると、人類も生存できなくなる。
人類が生存できなくなると、同時に人類の文化も破滅し、学問、芸術、政治、経済など無に帰する。
 このことは世界の大きな問題となり、いろいろと述べられているが、なかなかひろく徹底自覚されていない。
一般の人々は、その日その日の生活に追われ、目前の利の追求に汲々としている。そ
して人類は生物中もっとも愚かな自殺集団動物に化しつつあるのではないか。
 まず政治家、企業家のリーダーたち、知識人と自ら思っている人たちその他から、
すすんでまずゴミの清掃からはじめ、ひろく世間を啓蒙すべきである。これは人間としての重大事である。
まわりをきれいにすることは心を浄めることである。精神の修練である。馬鹿にしてはいけない。
 第二、地域的にはアジア全体に目をそそいでその将来を思うべきである。
やがて二十一世紀には、アジアは世界中でもっとも活気あふれる地帯となるであろう。
人口的、経済的、産業的に世界中でアジアを凌駕することはむつかしくなる。とくに中国は華僑、華人を含めて目ざましく発展する。
アジアのパワーはアメリカに追いつき、ヨーロッパを追い越し、世界中のもっとも重要な部門を背負うようになるであろう。
この事実を見逃して、ボンヤリと眠りこけているようではいけない。
 第三、このような偉大なアジアという巨船に対して、日本はそのタグボートの役割を背負うべきである。
 アジアという大巨船(アジア丸)はいかに共栄繁栄し、いかに地球全体の健全発展に貢献すべきか。
日本は世界中の港への曳き船、押し船であるべきだ。これはもちろん難問である。アジアのリーダーなどと威張ってはいけない。
日本人は、もっと自国の文化を充実させ、その品格品位を高めつつ、まずアジアの諸民族に尽くすべきである。

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アジア丸のタグボートの日本人として出来ること
掃除・ゴミ拾いを継続します。

心のすすを掃う

月日を刻んで年末を迎えるとすす掃い、大掃除が行なわれます。一年の汚れを落とし、新しい年を迎える準備です。
しかし、掃わなければならないすすは、目に見えないところにも積もっているのではないでしょうか。心のすす掃いも大切です。
私たちが学ぶ純粋倫理は、心の持ち方を大切にします。なぜなら、心の持ち方と物事の成否が繋がっているからです。
卑近な例でいえば、不足不満を抱えて、イライラした気持ちで仕事に臨んでもうまくいかないばかりか、危険な状況を招きかねません。
自動車の運転などはその最たるものでしょう。
とりわけて、恐れ、怒り、悲しみ、ねたみ、不足不満の心、それはただに、一切の病気の原因になっているだけでない。
生活を不幸にし、事業を不振にするもとであり、己の不幸をまねく根本原因であることを知らぬ。(
丸山敏雄著『万人幸福の栞』第十六条より)
私たちは、神ならぬ人間ですから、こうした心が日常のなかで湧き上がってくるものです。それをどう切り替えるかが重要です。
それはすなわち、マイナスの心、そのもとにある自分のエゴを捨てることにほかなりません。これが心のすす掃いにつながるのです。
一年を振り返ってみれば、不足不満など、マイナスの感情が何度湧き起こったことでしょう。
それはもう、数え切れないくらいかもしれません。
それらの多くは、自分の思い通りにならなかったことから起こってくるものです。
しかし、後から思い返してみると、そうした状況から学ぶこともあったのではないでしょうか。
当初の計画通りには行かなかった、会社として大きな損害をこうむった、社員間でトラブルが起きた、
こうした表層だけを見れば、不足不満も起こるでしょう。
しかし、後から心静かに振り返る時、少なからずメリットもあったはずです。
その失敗から、日常では得がたい教訓を学んだ社員もいるでしょう。
平穏無事に過ごしている時には気がつかなかった社内の課題や無駄を発見できたかもしれません。
長い目で見れば思い通りにいかなくて良かったのです。問題は早く発見できるに越したことはありません。
むしろ、それに感謝すべきでありましょう。
こうした見方を広げていくと、現象ばかりでなく、人に対しても、物に対してもまず、感謝の心を向けることが大切だとわかります。
特に、つい責めたり嫌ったりしてしまった対象には、心の中でしっかりとお詫びをして、お陰様という心に切り替えていくことです。
責め心も、嫌う心も、何も生み出さないばかりか、人を傷つけ、物の働きを奪うものだからです。
大掃除や年末のあいさつ回りも、こうした心で取り組むのと、そうでないのでは、その後が大きく違ってくるでしょう。
感謝とお詫びの心で一年をしっかりと総括して、万全の状態で新年を迎える準備をしたいものです。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

1月7日 「真に道を志す者」 

花柳詩酒に陥る如きは、真に道を志す者の必ず暇あらざる所なり。  
安政3年3月25日「講孟劄記」

【訳】

本当に人としての道に志したものにとっては、飲屋街で遊んだり、
詩や酒に狂うというような暇は絶対にない。

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仕事に、お客様の満足を高めるよう邁進します。
お酒には狂わず、飲みにケーション、お付き合いとして頂きます。