木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月30日 「笑顔は若返りを」
人は幸せだから、笑顔になるのではなく、笑顔になるから、幸せが
やってくるのです。
笑顔は人の心を大きく揺り動かす力となるのです。笑顔は若返りを
促進します。
若返れば、新しいものの見方が出来るのです。
幸之助はものごとをいつも明るく見つめていました。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月30日 「笑顔は若返りを」
人は幸せだから、笑顔になるのではなく、笑顔になるから、幸せが
やってくるのです。
笑顔は人の心を大きく揺り動かす力となるのです。笑顔は若返りを
促進します。
若返れば、新しいものの見方が出来るのです。
幸之助はものごとをいつも明るく見つめていました。
1昨年、「おもてなし」という言葉が流行語大賞に選ばれました。
これは二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック招致のためのプレゼンテーションで、
滝川クリステル氏が発した言葉です。「お・も・て・な・し」という言葉と
お辞儀のジェスチャーは、世界中の人々に、好印象を与えたのではないでしょうか。
「おもてなし」は、日本人の精神を象徴した言葉の一つです。日本には、
先人たちが大切にしてきた精神が長い歴史の中で育まれ、洗練され、今に息づいています。
ところが、今から七十年前、日本は占領下に置かれ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)
により、教育をはじめ、様々な分野が規制・監視された時期がありました。その規制の対象は、
伝統文化の一つである「将棋」にまで及ぼうとしていたのです。
ある日、GHQから将棋界の代表者に出頭が命じられます。呼び出されたのは、独創的な指し手、キャラクター、数々の逸話で知られる、将棋界の鬼才・升田幸三棋士でした。
軍服を着た四、五人と通訳一人に対し、日本側は升田棋士一人です。やがて質問が始まりました。
「日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、
人道に反するものではないか」
ここを突いてくるだろうと覚悟していた升田棋士は、次のように答えました。
「日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」(
升田幸三自伝『名人に香車を引いた男』中公文庫より)
一連のやり取りが五、六時間続き、将棋は守られたのでした。
将棋の歴史を辿ると、古代インドのチャトランガ(ボードゲームの一種)を起源とし、
西に流れてチェスに、東に流れて将棋となった、という説が有力です。
インドから中国を経て、日本に伝わり、長い歴史の中で独自の発展を遂げ、「駒の再使用」
というルールが生まれました。升田棋士は、そうした将棋の伝統に潜む日本文化の本質を理解し、強い自負心を持っていたからこそ、堂々と主張することができたのでしょう。
倫理研究所では、会員が心にとどめ、目標として向かうべき事柄として、次のような「信条」
を掲げています。
「我等は、日本文化の本質を明らかにし、世界の文化を摂取して、生活の向上に努めます」
日本には先人から受け継がれてきたたくさんの伝統が存在します。将棋のように、
海外から伝わり、日本独自の文化として変容したものもあります。
歴史の中でさまざまな試練を乗り越え、磨かれ、紡がれた日本文化の本質を認識し、
尊ぶところから「生活の向上」の一歩は始まるのでしょう。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月29日 「企業にはゴールはない」
企業にはゴールはない。
「困れば経営の原点に立ち返ればよい」
会社は絶対につぶしてはならないのです。
そのために、指導者は常に学び進化し続けなければなりません。
ダム経営に徹しなければ、本当の経営者とは言えないのです。
永続することの大切さを、幸之助はよく口にしていました。
企業をだめにするのは社会悪であり、
それが幸之助には耐えられないほどの苦痛だったのです。