木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
2月8日 「心に汗をかこう」
知識や経験から、すぐ頭で考えて、勝手に結論を出して人の
話を聞くことが多い。
初めから結論ありきでは、何事も間違ってしまうものです。
素直に相手の悩みを聞く心構えと、「心に汗をかく」ことが、人
の上に立つ人に一番求められるものです。
幸之助は、いつも心にいっぱい汗をかいて仕事をしていました。
素直に聞くことが大切なのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
2月8日 「心に汗をかこう」
知識や経験から、すぐ頭で考えて、勝手に結論を出して人の
話を聞くことが多い。
初めから結論ありきでは、何事も間違ってしまうものです。
素直に相手の悩みを聞く心構えと、「心に汗をかく」ことが、人
の上に立つ人に一番求められるものです。
幸之助は、いつも心にいっぱい汗をかいて仕事をしていました。
素直に聞くことが大切なのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
2月7日 「心が滅びるよ!」
「忙しい忙しいと言っていては、心が滅びるよ」と、幸之助は言って
いました。
時間だけは、誰にでも平等に与えられている。
時間に追われて、忙しい忙しいと言っていると、生産的な前向きの
気持ちまで、滅びてしまうのです。
時間に縛られる人生ではなく、時間を生かす人生でありたいと願え
ば、その時から心に余裕がでてきます。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
2月6日 「一念を定める」
松下電器は、昭和七年四月、貿易部を新設し、自らの手による輸出事業に
着手しました。幸之助三七歳の時です。
当時の担当部長は、「貿易の経験者は一人もおらず、英文タイプも
入手するのに、数ヵ月かかったが、商社に依存せず、自ら市場を
つかむことから始めた」と。そして、三年後には、松下貿易株式会社を設立。
「一念を定めれば、中小企業でも、その気になれば誰でも出来るよ」。
幸之助は、こうして戦前から世界市場へと大きな夢を膨らませていました。
病気や怪我は何のためにあるのか。それはまず、体の恩を知るためである。体が、こうして、
ここにあるとは、すばらしいことだと知るためである。
健康な時には、体のありがたさ、すばらしさが、なかなか分からない。視力のよい人には、
目玉のありがたさ、すばらしさが分からないのだ。腰のよい人には、腰のありがたさ、
すばらしさが、なかなか分からないのである。
私たちは実のところ「恩知らず集団」といってよいくらいなのだ。なぜか。あなたの顔から
目の玉をくりぬいたらどうなるか。すべては暗黒。歩けば、ぶつかる。手さぐりで、
トイレも大変。もちろん食事もろくにとれない。野菜の緑、トマトの赤も見えない。
「目玉さんよ、靴はどこか、映しておくれよ」と頼んだことがあるだろうか。そのような
頼みごとなど、一切しないにもかかわらず、目はまわりのものを克明に映し出してくれている。シャッターもおさず、調節もしない。フィルムも入れない。それでいてカメラ以上にパッチリと
まわりのものを映してくれるのが、あなたの目玉なのである。
実は、私はずっと目がよくて、永いこと視力も一・二はあった。目のよいのが、ひそかな
自慢であった。もちろん、そのころは目のありがたさ、おかげというようなことは考えたことも
なかった。遠くのものがよく見えるのも当然であり、それが幸福なのだという自覚さえなかった。
ところが、どうか。だんだん視力がおとろえ、七十二歳をすぎて、医者から手術をした方が
よいと忠告され、生まれてはじめて手術なるものを経験し、前よりよく見えるようになって、
まったくおどろいた。医術の進歩はもとよりだが、日常生活では、いかに目が重要であり、
いかにありがたいものであるかを、まざまざと実感することができたのである。「目玉の恩」
をわずかとはいえ、痛感することができたのである。
いうまでもなく、これは目玉だけのことではない。体のどの部分についても同じである。
なんとまあ、驚くべき私たちの肉体であることか。
専門家がくわしく調べれば調べるほど、私たちの体は霊妙偉大にできているのである。
それで病気になったり、怪我をしてようやく健康のありがたさに気づくのであるが、
それも不十分なことが多いようだ。
痛い! 苦しい! 不自由だ!
早く治して! なんとかして!
医者は何をしている! 助けて!
それだけに終わっているのではないか。病気になったり、怪我をしたりしたときは、
「ああ、いやだ」と思う反面、すぐに健康の恩を思い、生活のたて直し、気持ちの持ち直しを
計ることが先決だ。
「痛くてそんなことを思う余裕があるか」と言ってしまえば、それっきり。その病や怪我に
ふさわしい、心の、魂の改め方があると、死んでも銘肝して、素直に向上を目ざして
応ずることである。
病気は生活の警告である。警報器である。具体的に何を知らせているのかと、わが心に問う。
分からねば先輩、友人に聞く。この素直な向上の心が同時に恩を知る心である。
知人に勧められて倫理法人会に入会したFさん。まだ半年ですが、毎週の
経営者モーニングセミナー(以下MS)に参加すると、普段の生活では得ることができない
様々な「気づき」があります。そして、すぐにできそうなことは、周りからアドバイスを
もらいながら行動に移し、仕事や家庭で活かしています。
ある日のことです。いつものようにMSに参加すると、講師から次のような質問がありました。
「皆さん、食べ物の好き嫌いはありませんか? 好き嫌いの原因は、食べ物ではなく、
自分自身にあります。自分の心が決めているのです。その心は人の好き嫌いにもつながります」
その日の講師は、保育園の経営者でした。長年、子供と接してきた経験からの話でした。
Fさんは〈なぜ食べ物の好き嫌いが、人の好き嫌いに関係するのだろう?〉と疑問に
感じましたが、良い機会だと思い、自分自身のことを振り返ってみたのです。
Fさんにはどうしても口にすることができない食べ物が二つありました。それはキュウリと
スイカです。その背景には、少年時代の体験があります。
カブトムシ採集が大好きだったFさん、そのカブトムシを飼う時のエサはキュウリと
スイカでした。ある夏の日、暑さでキュウリとスイカを腐らせてしまい、その匂いを嗅いで、
Fさんは気分が悪くなりました。その日以来、食べることができなくなったのです。
しかし、講師から「食べ物の好き嫌いは、人の好き嫌いにつながる」と聞いたことが
気になります。
そこで講師に倫理指導を受けました。Fさんがこれまでの経緯を話すと、講師から「Fさん、
あなたには二つの癖がありますね」と指摘されたのです。
「物事を第一印象で決めつける癖と、過去にとらわれる癖です。食べ物に限らず、
人との接し方も同じではないですか?」
たしかに、Fさんには思い当たることがありました。初めて会った人に対して、
〈良い人そうだな〉〈このタイプは合わない〉と判断し、苦手な人とは積極的に関わろうと
しませんでした。また、過去に嫌な思いをさせられた相手や、言い争いをした相手には、
いつまでも悪い印象を持っていました。
〈なるほど、こういうところに二つのつながりがあるかもしれない〉と考えたFさん。
家への帰路で、キュウリとスイカを食べてみようと思い立ちました。そして、
すぐに実行するべく、近所のスーパーに立ち寄り、キュウリとスイカを購入しました。
生まれて初めてのことでした。
数十年ぶりに口にしたキュウリとスイカは、頭の中にあるイメージとは違い、みずみずしく、
おいしく感じました。むしろ、〈この味を知らなかったのは、何十年も損をした〉とさえ感
じたのです。
この体験を通じて、人との接し方も見直したFさん。苦手な人にも①先手で声かけ②相手の目を
見る③話をよく聴く、これらを一所懸命実践しているところです。