トップの自覚が社風をつくる

A社内には、いつも沈滞ムードがはびこっています。朝の挨拶は、小さな声で元気に欠け、
一日のスタートである朝礼も、やったりやらなかったりです。
商品の在庫や売掛金は増える一方で、新規開拓も思うように進みません。業績はみるみる
悪化して、あわや倒産寸前までに追い込まれていったのです。
 A社の社長は二代目でした。現場体験が少ないため、現場の全体像を把握できず、
的確な指示が出せずにいました。社員の間に社長への不信感がつのり、次第に活気を失
っていったのです。
これでは、経営者失格の烙印を押されても仕方がないでしょう。経営者は、全社員の生活を
守っていかなければならないのはもちろん、お客様の幸せも背負っています。そのことを
考えれば、まずトップとしての使命を自覚しなければなりません。
「全責任はおれが持つ。思い切ってやってくれ」という度量に欠けていたことを反省したA社長。
経営者としての自覚と責任を持って、自社の活性化のために、次の事柄に取り組んだのです。
1.経営者としての方針を明確に打ち出す。
2.トップと幹部・社員の歯車が噛み合うよう、風通しをよくする。
3.トップ自身が率先垂範して、実績を積み重ねていく。
会社の体質を改善するには時間と根気がいります。一朝一夕にできるものではありません。A
社長は、右記の三点を日々肝に銘じ、徹底して実行することで、躍動する社風をつくり
上げることに成功していったのです。
企業の繁栄は、お客様や取引先、地域社会の支持を受けてこそ成り立ちます。地域の活性化を願
って、経営者自身が「わが社は何のために仕事をするのか」と問い直し、自らの立場を
自覚すれば、疎かな生き方はできないという気持ちになるはずです。そうしたトップの姿勢は、
そのまま社風に現われるものです。
 M社は、就職情報誌を発行し、地元企業の人材採用と販売促進に貢献しています。
M社長の経営理念である「読者第一主義」に基づいて、業務を展開しています。
「価値ある情報だからこそ、一人でも多くの読者に手にしていただきたい」との思いを
貫くために、掲載企業を徹底的に調査します。
たとえば、企業から求人広告掲載の申し込みがあると、まず業種・職種を慎重にチェックします。社会的に問題があるとされる業種・職種については、丁寧に掲載を断っています。
広告料欲しさに無条件で載せるようなことは絶対にありません。社員が皆
「読者のためにならないと判断すれば掲載を断る」という信念で、業務に当たっています。
そうした姿勢から「正確で信頼のおける情報」との評判を得て、着実に読者層を広げています。
 「お客様のため」「人のため」を常に念頭に置き、社会の役に立つことを喜びとする、
倫理経営に根ざした企業が生き残っていく時代なのです。

役を知り、役に徹する

私たちは、職場のみならず、様々な組織や集団に属しています。それぞれの場において、
自分の役割を自覚するには「役を知り、役に徹し、役を超えない」ことです。
「役を知る」とは、自分の役職の立場を熟知すること。「役に徹する」とは、与えられた役職の
職務を徹底して行なうこと。「役を超えない」とは、自分のついている役職の領分を
超えないことです。
Aさんは、二年前から新しい上司の下で仕事をするようになりました。気さくな人柄で
接しやすい反面、業務においては冷徹ともいえる厳しさを兼ね備えた上司です。
当初Aさんは、自分に足りない部分を的確に指摘し、厳しく接してくれる上司に巡り会えたことを嬉しく感じていました。仕事の決断が早く、何事も迅速に対応する姿勢は、社会人として
見習うべき姿でした。
しかし、Aさんのもとには、毎日、次から次へと仕事が舞い込んできます。Aさんの状況など
お構いなしに、上司は、新たな仕事の指示を出してきます。
「○○さんにすぐ確認をして」
「今すぐ○○さんに電話して」
「○○のデータを一覧表にして」
言われた仕事は何とかこなすものの、いつしか〈このままでは体がもたないかもしれない〉と
思うようになりました。
数カ月が経ったある日、顔面に違和感を覚えたAさん。鏡を見ると、顔の左半分が腫れて
いました。純粋倫理を学んでいるAさんは、鏡に映った顔を見た瞬間、「病気は生活の赤信号」
という言葉が頭をよぎりました。
日々の業務を振り返ってみると、上司の席はAさんの左隣です。仕事の指示はすべて左側から飛
んできます。与えられた仕事を受け入れる事ができず、時には〈こんなに忙しい時に!〉
と不足不満に思っていたのです。
そこでAさんは考え、まず自分の職責上の立場を再確認することにしました。次に、
その立場を踏まえ、上司の指示にどのように対処するのが一番望ましいかを検討しました。
その結果、「言われたことは、すべてそのまま受けて、即行動に移す」ことにしたのです。
はじめは、いつものように腹を立ててしまい、言われたことを
なかなか受け入れられませんでした。それでも、すぐにそのまま実行するよう努めていきました。
一年が過ぎた頃、Aさんはあることに気づきました。上司の指示通りに処理する方が、
スムーズに仕事が流れていたのです。さらには、指示以外の仕事も、うまく進んでいく
ようになりました。
Aさんは、自分自身の「役」を知ることで、「役」に徹することができました。
立場の自覚が深まるとともに、一回りも二回りも成長し、以前よりも溌剌と日々の業務に
励んでいます。
同じ目的で仕事をする上で、各自の立場を明確にしなければ、それぞれの良さは発揮できません。「役を知り、役に徹し、役を超えない」という観点で、今一度、自身を振り返ってみましょう。

今年こそ習慣を打破する

ドイツの警句に「猫は美しい王女になっても鼠(ねずみ)を捕ることをやめない」という
言葉があります。習慣がいつしか生来の性質のようになることを示した言葉ですが、
良い習慣を崩すのは簡単でも、悪い習慣から抜け出すことは容易ではありません。
S社長は、ビニールの小袋に入った醤油やソース、プラスチック容器に入ったコーヒーの
シロップなどを使い終わった際、ペロッとなめる癖がありました。
ある日、部下を引き連れ、商談をしていた時のこと。先方の会社でアイスコーヒーが出
されたのですが、シロップを思わずペロリとやったものですから、部下たちは
気恥ずかしい思いをしたそうです。
Y社長は、「イヤ」という言葉から話を始める癖がありました。「イヤ、それはいいでしょう」「イヤ、そう思います」などと、賛意を示す時でさえ、否定を表わす「イヤ」を多用するのです。
その口癖に社員は戸惑い、ある時など、取引先の相手に〈自分の意見を否定された〉と
勘違いされたこともあったといいます。
日本にも「無くて七癖(くせ)あって四十八癖」という諺(ことわざ)があります。
これは、誰でも何かしらの癖があることを示したものです。
癖の原因は、様々な要因が考えられますが、悪しき癖を改めるためには、強い自覚が必要です。「これはよくない、改めよう」と、ハッキリ強く思うことです。
自覚を促し、それを自己革新に活かすためのヒントとして、第一に「苦難を活用する」
ことが挙げられます。先に紹介したY社長は、取引先とのトラブルが、
癖に気がつくきっかけとなりました。
このように、自己革新の第一歩となる「自覚」は、トラブルや苦難から得られることが
多いようです。苦難という「不都合な状況」は、自分自身に何らかの改善を促す貴重な
信号であると捉えることができるでしょう。
第二に「気づく能力を鍛える」ことです。S社長は部下の困惑し態度を察知したからこそ、
癖を改善することができました。
そもそも自分の癖に気づかなければ、改めようがありませんし、自覚も生まれません。
苦難を排斥するものと捉えず、自分に必要なメッセージだと受け止めた時、
自己革新のための正しい情報を得ることができるでしょう。
最後に、第三のポイントとしてあげられるのは「自覚は実行によって完結する」ということです。
年頭にあたり、どなたでも〈今年は…〉と心に期するところがあったことでしょう。
純粋倫理では、そう思ったその時が、自分を変える最も良い時であると捉えます。
その時機を逃さず捉えて、実行に移していく時、自覚は本当の意味で実になっていくのです。
怠け心や、面倒がる気持ちが表われた時こそ、新しい自分に生まれ変わるか否かの分かれ道です。今年一年の決意は、そのスタートである今月の過ごし方いかんにかかっていると心得、日々、
自己革新に挑戦したいものです。

自分の名前から

留吉という名前の人がいた。彼は自分の名前に不満をもっていた。彼の父親は五人の子を
なしたので、もうこれで最後に止めておこうと、こうした名前をつけたと聞かされたが、
なんとつまらないことだろう。
せっかく仕事を始めても、「もうこれで止め」という声が聞こえてくるような気がする。
飽きっぽい、長続きしない、そうした中途半端な気分になるような感じをもっていた。
だが、こうした留吉の人生にも、大きな転換期がきた。それはある雑誌を読んで、
彼が自分の名前について、大変な考えちがいをしていたと悟った時からだ。
一、子を愛さない親はいない。親は自分に幸あれかしと念じながら名前をつけた。
二、子は親の真意をおしはかり、たとえ気にいらないような点があっても、それをよく解釈して
自覚を新たにしてゆけば、その名前のように人生を有意義にすることができる。
こうした意味のことがらがその雑誌に書かれていたのだ。留吉はなるほどと思った。
そして新しく思い直した。トメは仕事を中途でやめるのではなく、わがままはここで止めという
意味なのだ。わがままはすべてここで止めと、そのつど思い起こして、一貫不怠、
やってやってやりぬくことだ。
このように気持ちを新たにして、「よい名前をつけてくれました」と毎朝晩、親に感謝しながら、仕事にかかるようにした。そうやっていると、飽きっぽくなるようなことはみじんもなくなり、
毎日張り切って働けるようになった。今わがままが出ているな、これを止めようと彼は
何かにつけて気づくことが多くなり、みちがえるような働き手に変わった。現在勤めている工場の係長に抜擢されることも、内定したという。
ここではっきり知っておきたいのは、名前を変えればよくなるといったような安易な考えで
それを実行しても、本当のところは無意味であるということだ。
大切なのは、あくまでも本人の自覚と努力である。自分の名前に対して親の愛情を思って感謝し、名前の中に建設的な意義を見出だしてこれを自覚し、そのように努力すると、
そこから自分の人生はそのとおりに切り開かれてくる。そこに親子の愛と敬とのつながりが、
大きな力となって生きてくる。
二郎とか三郎とかの二、三は、ただ順序を示すだけで何の意味もないという。
一応はそうだといえよう。しかし順序が示されてあるとは、すばらしいことではないか。
その順序を重んじて、それにふさわしく立派に生きようとつとめるところに、
見事な人生が開かれるのではないか。
肝心なのは、たとえどのような名前であろうと、そこに親の愛情を見出だして自覚を新たに、
意義のある人生を築こうと努力することである。 
自分の名前から、明るさ、楽しさ、美しさ、面白さ、強さ、柔らかさなど、建設的なものを
見出だすことができればすばらしい。その人の人生は、そのとおりに輝かしいものとなる。
あるいは地味な豊かさを、あるいは静かな落着きを、その名前のように人生は百花撩乱と
咲き乱れているのである。 (『丸山竹秋選集』より)

年の瀬に感謝を深める

今月の「今週の倫理」のテーマは、〈心を整理する〉です。
年の締めくくりにふさわしいテーマですが、逆に、心が整理されていない状態とは、
どのような場合が考えられるでしょう、
例えば、病気になった時や、事業上でトラブルが起こると、心が不安に満たされ、動揺します。
こうした状態は心が整理されているとはいえないでしょう。また、社員が成果を上げられない、
家族が病気やケガに見舞われるなど、平安な状態を崩すような出来事が起きると、
多くの人は心が整理されていない状態になるものです。
 そうした出来事が起こらなければいいのですが、人が生きていれば、平安ばかりでは
済まされません。まして経営者であれば、背負うものが大きい分、なおさらでしょう。
 ある経営者は、かつてはちょっとしたことでも不安になり、夜も眠れないことが度々
あったそうです。その後、倫理法人会で学び、実践するようになってからは、
夜眠れないということがなくなった、と語ります。
もちろん何も起こらなくなったわけではありません。むしろ、以前よりも厳しい状態に
直面することもありました。それでも、夜眠れたのは、心が整理できていたからに他なりません。では、その変化はどのようにもたらされたのでしょうか。
 一つには、そうした招かざる状況をどう受け止めるか、ということがあります。
そのベースにあるのは、純粋倫理の苦難観です。
倫理経営の拠り所である純粋倫理では、「眼前に起こる厳しい状況は、その人を苦しめるために
起きているのではない」と考えます。その真の原因を、当人の心のあり方にまで求めつつ、
「苦難は、その人をより善くし、より向上させるために起こる」と捉えるのです。
ですから、苦難に見舞われても、自らの心の生活を省みつつ、しっかりとその原因と意味を
捉えて、喜んで受け止めることができるのです。
 いま一つは、感謝と報恩の心です。こうして事業を継続できるのは、お客様、家族、社員、
取引先など、実に多くの人たちの支えがあるからです。更には、命があるのは、
親祖先あってのことです。
こうした日頃は見逃してしまいがちなことを、当たり前のものではなく「有難いこと」
として感謝を深め、〈その恩に報いることが自分の使命である〉と、受け止めることが
大切なのです。
 とりわけて、恐れ、怒り、悲しみ、ねたみ、不足不満の心、それはただに、一切の病気の
原因になっているだけでない。生活を不幸にし、事業を不振にするもとであり、己の不幸を
まねく根本原因であることを知らぬ。    (『万人幸福の栞』)
 まもなく新しい年を迎えます。今年一年の苦難を含めた幾多の出来事のお陰で、自分も、わが社も、より善くなれた、また、多くのご恩に支えられてきた、と深く感謝し、心の整理を済ませて、限りない希望を持って新しい年を迎えようではありませんか。