木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月9日 「値付けでその会社がわかる」
値付けでその会社がわかるのです。
価格こそ企業の魂であり、商品の魂です。
「新製品の価格決定の時こそ、『利益に対する考え方』『経営方針』
『商品に対する執念』の特訓を受ける最大の試練の場だ」と教えら
れました。
幸之助の要求する適正利益は、常に10パーセントでした。
高くてもいけない。安価でもいけない。すべては適正でなければいけ
ないのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月9日 「値付けでその会社がわかる」
値付けでその会社がわかるのです。
価格こそ企業の魂であり、商品の魂です。
「新製品の価格決定の時こそ、『利益に対する考え方』『経営方針』
『商品に対する執念』の特訓を受ける最大の試練の場だ」と教えら
れました。
幸之助の要求する適正利益は、常に10パーセントでした。
高くてもいけない。安価でもいけない。すべては適正でなければいけ
ないのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月8日 「君、人好きか」
「君、女の人、好きか」
と、聞かれて、好きですと答えました。
「男の人はどうか」
と、聞かれて、好きですと答えました。
幸之助は、さらに「嫌いな人も好きか」と、聞いたので、
ノ―と答えました。
「君、会社に入ったら男も女も嫌いな人でも、全部好きにならな
アカン。仲間やで。家族と一緒やで。それが出来ないと本当の
経営が出来ない」と、教えてくれたのです。
夫婦のあいだに、倦怠期がくるというのは、愛情のある証拠といえましょう。なぜならば、倦怠期すなわち飽きがくるということは、以前は愛情がこまやかだったけれども、今はうんざりして、
それほどでもなくなっている、ということにほかならないからであります。
いいかたをかえると、仲がよいから倦(あ)きがきているのです。すなわち、夫婦の倦怠期とは、愛情の沈潜期(ちんせんき)であります。愛の休憩期といってもよいでしょう。和合の状態が
一段落して、つぎの前進への準備にとりかかっている時期である、ともいえるのです。
日本をはなれて、しばらく外国に行っていると、日本のよさがつくづくと偲ばれます。
日本のよさの中に、はまりこんでいると、日本のよさがわからなくなってきます。これも一種の
倦怠期に陥っていることになります。太陽の恩恵などにいたっては、人間はほとんど倦怠期
づくめで、無自覚のまま、すごすことが多いといってもよいでしょう。
倦怠期にある夫婦は、おたがいの良さの中に酔いしれて、意識不明になりかかっているのです
から、思いきって、つめたい水でも、かぶってみたらよいのです。つめたい水をかぶれとは、
「目をさまし、心の窓をひらいて、相手を客観視せよ」というのです。
いつも聞いている相手の声……それは、いつも変わらない音声のようでも、じっときいていると、あるときは、調べ高く、あるときは、やさしさにあふれていることに、気づきます。ただ、
いまの自分がそれに気がつかない、発見できない、というだけにすぎません。
倦怠期とは、相手のすばらしさを、さらにさらに、たくさん掘りだすべき時期ということに
なります。たんなる倦怠期として終わらせるか、あるいは、自分が芸術家のようになって、
相手の中によりすばらしいところを見つけだすか、いずれも、あなたの自由であります。それはちょうど、苦難をたんなる苦難として終わらせるか、あるいは、苦難は幸福にいたる門であると
自覚して、雄々しく踏みいだすかどうかが、あなたの自由であるのと同じです。
自分の配偶者に、真の「美」を発見する、あるいは相手のすばらしさをみつける、
ということは、自分がそれだけ芸術家になるということです。具体的には、あなたの配偶者を、
あらためて、よく見直すということによって始まるのです。じっと見ていると、その糸口は
見つかります。それを、ひとつひとつ、ほぐしてゆくのです。これを「客観する」というのです。
このようにして、ふたたび愛情の源泉にかえりつきますと、その内容は以前よりも、
さらに高くもなり、深くもなり、豊かなものになってゆくのです。
最後に一言、あなたの配偶者は、あなたが現在知っているより以上の、すばらしさ、
よさをもっていることを、断言します。あなた自身も、今のあなたが自覚している以上に、
よいところすばらしいところをもっているのです。人はその面では、だれでもお互いに
認識不足者であるといってよろしいでありましょう。
(『ここに倫理がある』より)
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月7日 「善・悪ともに共存するのが世の中」
善・悪ともに共存するのが世の中です。悪は善をつぶそうと狙って
いるのです。
しかし、「世間の風評に惑わされてはならぬ。悪に振り回されたら、
自分まで悪に染まってしまう。だから、徹して誠を尽くせ。
そしたら、悪は自然と消滅する」と言われ、
「自分の世界に閉じこもっていたら、人間の美しい花は咲かないよ」
と、幸之助は諭してくれました。
仕事の場において、円滑に業務を進めていくためには、人間関係を構築する力が求められます。
周囲の人と心を合わせ、チームワークを高めていくには、
①相手を変えようとせず自分を変えていく、
②自分から相手に合わせていくことがコツです。
この態度が身についているか否かを図るバロメーターとして、「最も近しい他人」ともいえる配偶者との関係をあげることができるでしょう。
*
ある六十代の夫婦が、「倫理経営講演会」に参加した時のことです。
講演では、講師の女性が自身の体験を話しました。その講師は、ガミガミうるさい夫を
嫌っていましたが、純粋倫理に触れ、「まず自分から変わること」を学んで実践するうちに
夫婦関係が改善した、という内容でした。
この体験談を紹介した後、講師が「皆さん、人のせい、世の中のせいにしてはダメですよ。
まず自分から変わっていきましょう」と聴衆に訴えました。すると、講演を聞いていた夫妻の
夫が、隣の妻に向かって、こう言ったのです。
「人のせいにしちゃダメだよ」
笑い話のようですが、私たちの日常にも、似たようなことはあるのではないでしょうか。
思わず出てしまったこの言葉こそ、相手を変えようとする本音を表わしているといえましょう。
人間はよほどのことがないと、自分を改めようとは思わないものです。だからこそ、
意識して実践する必要があるのです。
次に、「相手に合わせる」のも、言葉で言うのは簡単ですが、なかなか難しいものです。
倫理を学んでいる経営者のK氏は、「妻の話をよく聞く」「妻の意見に合わせる」ことを
実践の目標に掲げていました。
ある日、夫婦で買い物に出かけた時のこと。妻のショッピングに付き合いながら、K氏は
〈これも実践だ〉と思いながら歩いていました。
商品を選ぶ妻の横で考え事をしていると、妻が「これ、似合うかな?」と聞いてきました。
K氏は「いいんじゃない」と答えました。すると、「何がいいのよ。ちゃんと見てもいないのに」と、妻が怒り出したのです。
妻が選んだ商品をまったく見ずに、よそ見をしながら答えたK氏。妻はその態度を見逃さず、
口先だけで合わせていることをズバリと指摘したのでした。K氏は、「妻の話をよく聞く」
という実践を掲げていながら、〈自分を見てほしい、夫に認めてほしい〉という妻の心に
寄り添っていなかったのです。
*
「相手に合わせる」という時、形はもちろん大切です。しかし、もっとも問われるのは、
「心」のありようでしょう。自分の言葉や行動の源に、相手を本当に尊敬、信頼している心が
あるでしょうか。まさに「夫婦の心の一致しているかいないか」に、すべてがかかっています。
人間関係の土台ともいえる夫婦関係を今一度見つめなおしたいものです。