安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月5日
運命の法則をつかむ
運命は動いて止まないが、そこにおのずから法則(数)がある。
そこで自然界の物質と同じように、その法則をつかむと、それに支配されないようになる。
自主性が高まり、創造性に到達する。…
つまり自分で自分の「命」を生み、運んでゆけるようになる。
安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月5日
運命の法則をつかむ
運命は動いて止まないが、そこにおのずから法則(数)がある。
そこで自然界の物質と同じように、その法則をつかむと、それに支配されないようになる。
自主性が高まり、創造性に到達する。…
つまり自分で自分の「命」を生み、運んでゆけるようになる。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月5日 「安全と安心とは違うで」
「木野君、安全と安心とは違うで」と、
幸之助はいつも言っていました。
安全は技術的に、理論的に証明され、説明されないとだめです。
しかし、安全だからと言って、お客様に安心してもらえるとは
かぎりません。
安心は、お客様の心に唯一、「人間的信頼感」が生まれた時に、
初めて心が安らぐのです。
これを安心というのです。
安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月4日
お互いがこうして生きている。
考えてみれば、これくらい不思議なことはない。
この悠久なる時間と、この茫漠(ぼうばく)たる空間の中にあって、たまたま時と所を一にしてこうしているという、こんな不思議なことはないということがわかれば、この現実、この利那(せつな)、この寸陰(わずかの時間)、この場、この身というものが、何よりも大事なのである。…
無限に愛惜(あいせき)すべきものになる。
これを「但惜身命(たんじゃくしんみょう)」という。
それを把握するためには、取りとめのない日常の身命などは、値打ちがない。
これは不惜身命(ふしゃくしんみょう:身命を惜しまぬ)である。
真に道を得るためには、それこそ不惜身命でなければならない。
何が故に身命を惜しまぬかといえば、但惜身命-本当の身命というものを限りなく愛するからである。
真の自己・真の存在というものを限りなく愛着するが故に、この取りとめない、はかない、迷える身命など、問題ではない。
命がけで命を惜しむ。
但惜身命なるが故に、不惜身命。
不惜身命にして、但惜身命にな
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月4日 「君に会社をつぶす権利はない」
君に死ぬ権利はない、
僕には君を生かす権利がある。
君に会社をつぶす権利はない。
僕には、社員を幸せにする義務がある。
事業は、絶対に成功しなければならない。
なぜならば、社会のSOSのシグナルを、解決するために
あるのだから―。
幸之助は、いつもこう自分に言い聞かせていました。
安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月3日
第一は「平素人と争競せず」。…
武家社会で婦人に社交を戒めたことには深い意味がある。
とかく無教養な婦人ほど社交に出ると他人と比較争競したがるからだ。
人と争い競わぬというのは男女を問わず大切な徳である。
第二に「苦難中怨言(えんげん)無し」。
苦しみ悩みうらあの中にあって怨み言を言わない。
或る人が会社に辞表を出して帰って来た。
妻に一言、「辞表を出したよ」と言うと、彼女は言下に「それじゃまたお好きな魚釣りができますね」と言ったという。
これは嬉しい。
かくあるのが本当の女性だ。
第三は「飲食を節す」。
これは美徳だ。
牛飲馬食の女性ではいささか興が冷める。
第四が「事を聞いて驚喜せず」。
激情を露(あらわ)にせずに、しっとり落着いているのがよい。
第五は「よく尊敬す」。何事によらず尊敬することを知るというのは貴い徳だ。
人間はこれあるによって進歩する。