安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月16日
無心の読書
読書、思索は無心でやるのがよい。
金剛経にいう「無住心」だ。
ためにするところがあると、折角の読書、思索も害になる。…
少なくもわずらいとなる。
昔の学生は大部の書を読むことを一つの楽しみとし、誇りとした。
「史記」や「資治通鑑(しじつがん)」などはその恰好の材料だ。
よい意味での猛気といってもいいが、この気魄(きはく)がないと学問もものにならない。
安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月16日
無心の読書
読書、思索は無心でやるのがよい。
金剛経にいう「無住心」だ。
ためにするところがあると、折角の読書、思索も害になる。…
少なくもわずらいとなる。
昔の学生は大部の書を読むことを一つの楽しみとし、誇りとした。
「史記」や「資治通鑑(しじつがん)」などはその恰好の材料だ。
よい意味での猛気といってもいいが、この気魄(きはく)がないと学問もものにならない。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月16日 「失われた利益」
「君がやっているから、うまくいかないと考えたことがあるか。
他の人だったら、もっとうまくやってるかもしれへん。
そのぶんだけ会社に損をかけてるんやで」
と、幸之助は言いました。
ドラッカーの言う「失われた利益」です。
愚人である私は、幸之助という偉大な師のもとで暮らしながらも、
少しも真理をつかんでいなかったのです。
私の心の中には傲りがありました。
傲慢は会社を潰すのです。
安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月15日
心・古教を照らす
鎌倉の虎関(こかん)禅師に「古教照心・心照古教」の言葉がある。
古教・心を照らすことはまだ行うことができる。
心・古教を照らすに到って、真の活学というべきだ。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月15日 「経営は、いつでも右肩上がりやで」
「経営に成功するということは、いつでも右肩上がりやで」
「毎日が真剣勝負やで」
「日々、決算や。いや、瞬間決算や」
幸之助は、一瞬一瞬の行動に、成功のすべてが掛かって
いると考えていました。
「一瞬一日の如し、一言は万言にひとし等し」と理想を掲げ
ながら、現実を変えていったのです。
安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月14日
第一流の人物②
程明道(ていめいどう)は、自分は平生(へいぜい)多くの人に接するが「不雑」なる者が三人あるとて張横渠(きょうおうきょ)と劭康節(しょうこうせつ)と司馬光(しばこう)とを挙げて、特に劭康節に対して「乱世の姦雄(かんゆう)にして道学の所得ある者」と評しているが、多面的な人豪(じんごう)というものを推賞し得て適切である。
潜庵にもこの様な「不雑にして人豪」の風趣がゆかしく思い起されるのである。