支払いの倫理

ビールが次々に値上がりしたときK君は、とてもいまいましかった。一介のサラリーマンである彼は、
大好きなビールをこれから飲めなくなると、腹もたつし、悲しくもなるのだった。
妻君に買っておくようにいうと、いやな顔をする。「こんなに値上がりしては、とてもやっていかれないわ。
お飲みになりたいだけ、あなたがだしてくださらないこと」などと言われて、困った顔をされると、
しぶしぶ自分の財布の口をひらくより他に仕方がなくなるのだった。
特別な嗜好物は自分で支払うこと。これが物価値上がりのご時勢に、妻君から突きつけられた彼の悲劇だった。K君は、波だつ心をおさえてビールを注文し、代金を支払うのだった。僅少のようではあるが、
値上がりした分は、彼の腹の底に残った。
「こんなに値上げばかりでは、とてもかないませんわ。お野菜も、お肉も、お魚も…」くどくどと言いながら
妻君のついでくれるビールの味は、かくべつに苦いのであった。
このようなことから、会社に出ても朗らかに働けないのである。健康もすぐれない。
ところでN君の場合は、反対にあっさりしている。「また値上がりか。困るなあ…」彼ももちろん眉を
ひそめる。「こんなに値上がりばかりで、政府は何をしているのかしら。もっとしっかりした議員さんを
選ばなくてはダメよ」。妻君も大いに憤慨している。しかしである。N君は、すぐに割り切るのだ。
「まあ、いい。どうせ値上がりをしてしまったのだから、きっぱりと払っておきなさい。酒代なんかは、
これからはぼくが出すことにするよ」そういって彼自ら酒屋に電話をかけるのだ。
妻君のほうでも、夫があっさりと気前もよいので、いつまでもぐずぐず言っているわけにはゆかない。「
うちも大変だけれど、まあまあ、ほがらかにいきましょうよ。ね、あなた。さあ、いっぱい、どう…」
といった調子で、一家団らんの幕が切って落とされる。おかげでN君も愉快に家庭生活を楽しむことができ、
会社に出ていってもバリバリと働ける。こうして彼のまわりは明るい雰囲気になってしまう。そのせいか、
子どもたちも伸び伸びと朗らかな表情だ。

支払う時に、いやな顔をされると、支払われるほうも、それだけ不愉快になる。これは人間関係だけに
とどまらない。その心は物品にも響く。まわりのすべてに波及する。
もちろん物価は上がらないほうがよろしい。しかし、どうしても上がってしまったのなら、きっぱりと肚を
決める。いつまでもメソメソしていないで、スパッと払う。これが喜んで支払うということだ。
惜しみ出して、いつまでも渋面をつくっている。これでは買われた品物のほうも、おもしろくはあるまい。
食べものも栄養分も、程よく吸収されはしないであろう。それらは生きて働かないのだ。ケチな人間には、
ケチなようにしかまわりは動かないが、気前よく支払いをする人には、まわりのものは気前よく働く。
とにかく支払いは、その額だけ、きっぱり喜んでやるというのが鉄則で、これは難しいことではない。