純粋倫理に基づいた経営、すなわち「倫理経営」では、「本(もと)を忘れない」ということを重視します。その具体的な実践の一つに、墓参があります。
精肉店を営むS社長は、後継した店が経営不振に陥りましたが、墓参と清掃の実践によって亡き父の思いに気づき、感謝の心を取り戻した時、自社の製品がテレビで取り上げられ、それをきっかけに経営が回復しました。
また、多額の赤字を抱えた会社の継承を懇願されたN氏は、毎朝、仏前でさまざまな人の「恩」を思い起こす実践を開始。経営者であった亡父の真心に触れた時、事業承継を決断し、数億円の赤字を黒字に転換することに成功しました。
これらは『新世』誌上で「体験記」として発表された墓参の実践事例です。同様の体験談は、記録されていないものも含めれば、数えきれないほどあるでしょう。
それらに共通することは、親祖先など、先人への思いを好転させた時に、未来へ向かう力を得たという点にあります。
倫理研究所の第二代理事長・丸山竹秋は、生命の大本である親祖先を尊ぶ意義について、次のように述べています。
…うぬぼれをなくし、自利中心の気持からくるみだれた心を去り、恩恵に一段と目ざめて、純情の働きを呼びもどす…(『ここに倫理がある』より)
親祖先の真情に触れた時、人は純情になり、心は清明になります。そこに見えざる親祖先の「本」の力が自己に流れ込んで、奇跡的な効果さえあらわれるのです。
このように、今に生きる我々(現在世代)が、過去の存在(過去世代)に対する思いの質を高め、強くすることは、未来の人々(未来世代)に対する倫理、すなわち世代間倫理に関わる大事でもあります。
例えば、環境問題に意識が向きにくい原因の一つに、世代間での対話が成立しないことがあげられます。つまり、環境を汚したことを未来世代から訴えられて現在世代の誰かが刑罰を受けることはないのです。未来世代は、現在世代の「徳」と「罪」をただただ一身に背負う存在と言えるでしょう。
実は、この問題を解決するには、逆に過去世代に視点を向けることにあるのです。「先人木を植えて、後人その下に憩う」という言葉があります。「人が木陰で休む時、その木を植えてくれた先人の恩を思い、新しい木を未来の世代のために植える」というこの言葉が暗示するのは、世代間の「恩」のリレーの重要性にほかなりません。「恩」を感じる時、世代間で不可視の対話が生まれているのです。
「恩送り」とも言えるこの価値の復権こそが、地球最大の課題である環境保全活動の根幹に必要なことではないでしょうか。
墓参や親祖先を敬うといった「本を大切にする」倫理の実践は、自己と自社の繁栄のみならず、国や民族の繁栄、そして地球倫理の実践にも関わっています。今日を無事に過ごせたことに感謝し、その思いを明日の働きのエネルギーに換えて、よりよい未来を切り拓いていこうではありませんか。