クラップ業を営んでいるTさんは、二代目の社長です。
どの業種でも、年末は忙しくなるものですが、Tさんはとりわけ多忙を極めます。スクラップの回収依頼が山のようにあるからです。「今年があと一日あればいいのに」と、毎年思っていました。
多くの会社では、年末に、社内や工場内の大掃除を行ないます。鉄くずや古紙、不要な物が大量に出るため、業者に回収を依頼します。社内をスッキリさせて、きれいな環境で新年を迎えようと思うのはどの会社も一緒です。
Tさんは毎年末、回収に明け暮れていました。自社の片づけをするのは、仕事納めの日、すべての得意先の回収が終わった後です。ほぼ徹夜で工具の手入れをすることもありました。
先代である父親から「何をバタバタしてるんだ。早く仕事を終え、工具類の整理整頓をやれ!」と怒鳴られながら、「あと一日あれば片づけられるのに」と、Tさんはぼやいていたのです。
そんなTさんが 純粋倫理を勉強するようになりました。その中で次のような文章に触れたのです。
あと片づけをせず、使った道具の手入れせず、靴を揃えぬ、傘のしずくを乾かさぬ、こうした事は身のたしなみとしての単なる作法だとか、行儀とかと心得ているのが、これまでの考えであるが、これを忘れることが、いろいろの不幸の原因(もと)となるのである。
(『万人幸福の栞』第十三条)
たかが後始末と思っていただけに、「いろいろの不幸の原因」という言葉が胸に突き刺さりました。そして、思い出したのは父の仕事ぶりでした。
創業者である父親は、年末の仕事納めの日になると、工具類を油で磨き、工具置場に整然と並べていました。感謝と労いの意味を込めて工具の後始末をし、掃き清めた工場に鏡餅を備えて新しい年を迎えるのが常でした。
また、得意先のスクラップ置き場には関係のないゴミも混入しているものですが、父はそうしたゴミも持ち帰っていました。
「お客さんはスクラップ置場もきれいにしたいだろうから、ゴミも持ち帰るように」と、父は常々口にしていました。当時は面倒だなと思っていましたが、父は、得意先も自社も、しっかり後始末をつける商売をやってきたのだと、今更ながらに思ったのです。
〈自分も父のようにきっちりと始末をつける仕事がしたい〉と思うようになったTさん。とはいえ、年末は稼ぎ時です。回収を減らす訳にはいきません。そこで、年末前の、比較的余裕のある時期から工具の手入れを行なうと共に、日々の後始末を徹底したのです。
この実践に取り組んで以来、Tさんは、年末に慌てることがなくなりました。仕事納めの日は最小限の後始末で済むようになり、落ち着いて新年を迎えられるようになったのです。
今年もいよいよ残すところあと僅かになりました。しっかりと後始末の段取りをつけて、新しい年を迎えたいものです。