いったい、どうしたら信念を持つことができるのか。独りでぬくぬくとしていて、ボンヤリ暮らしていては、そういう信念は得られはしない。
自分の目で見、耳で聞き、体でやってみる。これを繰り返すことによって、「なるほど、間違いない、確かだ」ということが分かって来ると、それが信念になっていくことは間違いない。手さぐりでもいいからやってみる。そうしているうちに、なるほど、これでいけばよいのだという確信がついてくる。
その「やってみる」ということを、「実行」「実践」というのである。実践がなければ信念はないのである。
不安や疑問をなくし、弱い、小さい信念をいよいよ強くしていくには、実践を積み重ねていくのが大切だが、それと並んで効果があるのは、この生き方を人にも積極的に勧めることである。人のために力強く、まごころを持って勧めることである。
「お子さんが言うことを聞かずにお困りだそうですが、まず両親が素直にお子さんの言うことを聞いてあげるとか、また他人の言葉を一度は素直に受け入れることが先決だと聞きまして、私もそうやってみましたら、子供が比較的言うことを聞くようになりました。いかがでしょう、あなたもそうやってみられては」
――これは一例にすぎないが、この勧めを素直に受けてやってみた人が、「本当にびっくりしました。子供が言うことを聞かないとき、嫌がらずにそれを受け入れてやって、やさしく注意するようにしてみましたら、子供の態度が変わってきました」と報告してくれる。そのとき、勧めたほうは、「よかった」という喜びと、「確かにほんとうだ」という信念が、一体となって心身を熱く湧きたてるのである。
なるほど、やっぱり本当なのだ、と強く心を打たれ、教えられるのは、勧められた人よりも、勧めたがわの方なのである。
よいことは人に勧めるべきである。よいことを行なう人が一人でも多くなれば、世の中がよくなってくる。そして、勧めたほうも勧められたほうも、そのよさが身について分かってきて、やがて信念となる。
ここで特に注意したいのは、人のためによいことを勧めるという意義についてである。このこと自体がすでに立派であるが、実はその奥に、人のためにというまごころをこめて、つまらぬ我欲を離れてよいことを勧めるとき、いつしか、そのよいことが信念となって自分に返ってくるという事実があることに注目してほしいのである。
「自分のため」という欲があると、コップの中に濁り水が溢れているようなもので、ほかの栄養のある飲み物も入りようがない。けれども、その濁り水を捨てて洗ってしまえば、よい水が入ってくることができる。
信念は、自分だけ、こっそりとよいことをやっているだけでは、本当に強く、固く身につくものではない。人のために勧め、その人が実践してその結果を示してくれることによって、たとえようもない喜びの中に、自分の信念が深まる、返ってくる。ここに説明しがたいほどの妙味があるのである。
(新世書房刊『繫栄の法則』より)