地球の華

人間は何のために生まれそして生きているのか。

地球をより美しく、よりりっぱにするためである。同時に自分の生活をより美しく、よりりっぱに、みごとにその良き持味の華(はな)をあらわすためである。

私たちは地球をきたなくするために、醜悪にするために生きているのではない。あたりまえではないか。

持味とは、もとからそなわっている味のことで、その人がもともと持っている良い性質、特質、個性のことである。その持味を十分に発揮して活躍し、この地球上に、それぞれりっぱな○○(だれそれ)の華を咲かせることである。

一口に「~のため」といっても、その「ため」はいろいろの意味に解される。金もうけのために生きているとか、食うために生活しているとか、また人のため、社会のためになるようにとか、さらには生きたいからただ生きているのだとか、そのほかさまざまな「~のため」をとらえることができよう。

 

それぞれ意味があり、理屈もあることだが、かんたんにいって「地球を美しく、りっぱにするため」は、わかりやすいのではなかろうか。そして意義も高いのではなかろうか。

朝起きて、洗面し、外を見る。空気を吸いこむ。そうしたとき、

〈この地球、母なる大地。自分が住み、そうして他の人々、生きものなどが共に棲んでいるこの偉大な地球を、感謝し、すこしでも美しくきれいにしよう。これは自分のためでもあるのだ!〉

と一瞬でも自覚することだと思う、たとえ一瞬でも。

ガソリンを燃やせば、それだけ大気がよごれるのは仕方がない。しかしドライバーが心の底で、さらに良い機械が発明されることを念じ、すこしでもむだな運転をつつしむように工夫することは、「美しくする」ことに通じよう。きたない地球をほったらかしにしておくのと、どちらが良いのか。

良い持味は、美しく、りっぱにしようとするところから発揮される。きたなくする、人に迷惑をかける、悪いことをすることからは、悪い味しか出てこない。持味には悪いものもある。人間にとっての毒キノコは、その毒が持味なのである。だから、良い持味つまり自分の個性を発揮させようとするためには、美しいこと、良いこと、人のためになることなどをしようとつとめることだ。地球は人間も棲んでいるから、地球を美しくするとは、人間を美しくすることである。地球をりっぱにするとは、人間をりっぱにすることとなり、その人間の中には当然自分自身も含まれるのである。

地球は一つの巨大な生きものである。地球は大活動をし、変転している。この地球をうち壊そうと毎日働いているのが人間つまり私たち自身であるといって良い。

地球倫理とは、地球を愛し、敬し、あがめる倫理のことである。今まさに人類は、個々の人間の華を美しく咲かせて、地球を楽園にしなければならぬ大使命を持っている。 (『よろこんで生きる』より)