ある日突然、Yさんのスマートフォンの電源が入らなくなりました。二カ月前に購入したばかりなのに、電源ボタンを押しても、うんともすんともいわないのです。
よく見ると、スマートフォンはだいぶ汚れています。純粋倫理を学んでいるYさんは、「そうか、物は大切にしないとな」と、画面を磨き始めました。しかし、まったく反応しません。
このまま修理に出せば、データが消えてしまうかもしれません。それは困ると思いながら、その夜の会合で、『万人幸福の栞』を読む機会がありました。その日に読んだのは、「物は生きている」と説かれた第十一条でした。
大切につかえば、その持主のために喜んで働き、粗末にあつかえば、すねて持主に反抗するだけでなく、時には腹立てて食ってかかる。
この一文を読みながら、Yさんの脳裏によぎることがありました。実は電源が入らなくなる直前、得意先との通話が三回切れてしまったのです。通話が途切れるたびにYさんは苛立ち、〈何で切れるんだ!〉と、スマートフォンを思わず投げつけたい気持ちになりました。そして、〈これは不良品だから、新しい物を買おう〉と思っていたのです。
その時の心持ちを思い出したYさんは、栞を読みながら、日頃からスマートフォンを粗末に扱っていたことを反省しました。そして、「スマホ君、ごめんなさい」と頭を下げて謝りました。相変わらず電源は点かないままでしたが「たとえデータが消えても、修理してまた使おう」と決意したのです。
翌朝、身支度をしながらYさんは、スマートフォンのランプが点滅していることに気がつきました。震える手で電源を押すと、画面が白く輝き始めました。そして、再び起動したのです。
その後、Yさんのスマートフォンは、何事もなかったように動いています。その日を境に、Yさんは画面を無理やり押したり、乱暴に置かないように心がけています。
〈スマホ君のお陰で仕事ができているのだな、ありがとう〉と思いながら、画面を磨いています。
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「電源が入らない」という事態を受けて、汚れを拭き始めたYさん。それは「物を大切にする」実践として取り組んだのですが、その心の内はどうだったでしょう。
そこには「きれいにすれば直る」という安易な期待や打算が働いていたはずです。それはまさに結果だけを求めた、功利的な心での実践でした。
その後、Yさんは『万人幸福の栞』の一節に触れ、改めて自分を省みる中で、物を粗末に扱っていた心そのものが誤りだったことに気づいたのです。その反省と共に、「大切に使おう」という決意が芽生え、無機質な物へ愛情を傾けられる人間に変わりつつあります。
結果として、スマートフォンは機嫌を直してくれましたが、今回のことは、Yさんにとって、物の本質に触れることができた貴重な経験となりました。