心で話す

私はしゃべることが、きらいだった。口をうごかして、いろいろなことを話すよりも、だまって本を読んだり、書いたりするほうが、はるかによかった。それに小学生のころは、かるいドモリだった。カの発音がなかなかできなかった。うけ持の先生から「どもらないように、もっとゆっくり話しなさい」といわれてから、よけい気になって、なるべくだまっているようにした。

その私が三十歳ごろから、人の前で話をしなければならないようになった。これは、たいへんな苦痛だった。似たような経験のある人でなければ、この苦しさはわかってもらえないであろう。ひそかに話しかたの本をよんだり、人の話のしかたをいろいろと調べて、こうでもない、ああでもないと苦労するのだった。

話術の先生がたとも、おつきあいをしたりして、人知れず勉強もしたのだったが、それでも話のしかたは、なかなかうまくはならなかった。

 

それでけっきょくゆきついたところは、話しかたもたいせつではあるが、内容なのだ。まごころがあるかどうかで最後がきまるのだということである。これもじつは、話しかたの先生がひとしく、説いておられるところなのであって、かくべつ新しいことでも何でもないが、やはりその平凡なところに、いちばんだいじなものがあるのだと思うようになった。全日本労働総同盟会長の滝田実さんが、立て板に水の弁舌もよいが、それ以上に〝心で話す言葉〟のほうがたいせつで、人間は理で勝って感情で反ぱつを受けては何にもならない。私心を捨てた〝心の言葉〟こそ組織に血を通わせるものだ……といっておられるのを読んで、それはそのとおりだと思うようになった。

こうのべてしまえばかんたんであるけれども、それではどうしたら、まごころになれるのか。どうしたら内容がしっかりするのか。どうしたら心で話す言葉が口から出るのか。こうしたことは、じっさい問題として、かんたんにはゆかない。まごころだ、誠意だといっても、それがむなしく自分にはね返ってくることを、話以外のこと、つまりじっさいの仕事にあたっているときなど、人は経験するのではあるまいか。

アメリカのルーズベルト大統領は、一分間の演説をするのに一時間かけて原稿をつくったという。大統領になったとき、新聞係秘書官から「明日の歓迎会で演説してもらいたいと主催者から頼まれました」といわれ「今からまだ二十時間あるから、十五分くらいならやれる」と答えた。つまり、五時間を休養にとると、十五時間かければ十五分くらいの話ならできるという意味である。これだけ時間をかけて準備をするというのが、つまりまごころなのであろう。

行きあたりばったりでよいこともあろうが、きめられた話には、それだけの準備をし、苦労をするということが誠意になるのだ。このあたりに、たいせつなものがあるのではなかろうか。

 

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