決断はどうしたらできるのか。決断には、こうだから、こう決めるという、拠りどころが必要だ。それがなくては、決めようがない。これはいわば決断の基礎であり、根拠である。それによって、方向が決められるのだ。では、その根拠をどのようにして得ればよいのだろうか。
囲碁や将棋の専門家は、盤を前にして時には何時間も考える。短時間で数百手も先を読むというその道の達人でも、次の一手を決断するのに長時間をかけることがあるというのは、やはりこうしたらよい手、勝つ手になるという根拠を長時間かけて探しているわけだ。
棋士たちの場合、次の一手を読み切ることが難しくて、どうしても読みきれない時は、持ち時間の切迫もあり、最後は勘によって決めなければならないだろう。
私たちの日常生活でも、最後は直観、するどい閃き、強く心に映じたもの、いわゆる勘によって決めることは多いのである。いくら読み切ろうとしても社会の変化、
周囲の条件などの消滅生起が分からなくて、最後はこうしようと押してゆく。
成功している人たちは、この直観を正しく働かせていることが多い。これには平素の生活が大切だ。朝自然に目がさめる。起きようと心に思う。これは朝の直観、毎日の始まりである。「起きよ」と直観したら、すぐに起きる。夜具の中にいつまでもモゾモゾしているような生活では直観の働きが悪くなる。試しに自分でやってみるがよい。まず一日のスタートから直観で、気づいたことをさっさと実行してゆくことによって、勘は冴えてくる。応待も素早く、決断もすぐに下せるようになる。反応がにぶいというのは、気づいたことをさっさと行なわないからで、直観を粗末に扱うことである。
大決断をするには、平素から小さな決断をテキパキと下すようにすること。小さな決断をおろそかにしていては、大決断はできない。小も積もれば大となるというが、決断は小が積もって大となるとい
うより、小さなことでいつもぐずぐずと迷っているような直観の働かせ方では、大きなことに臨んでも直観が働かないということだ。
次に大切なのは、いつも自分のことを主にして考え、自分の利益だけに重点をおくという生活をしないことだ。
自分に五割の利があれば、相手にも五割の利を考えてやるとか、自分よりもむしろ相手の立場を尊重して、しかも厳然と処置するとか、要は自分以上に相手のためを思うという愛情を決断の根拠にすることである。
これは利害得失にこだわるのではなく、相手のことを十二分に尊重するという〝倫理〟の実践である。これは商道にかぎらず生活の根底にあるべき最重要な基準で、これを根拠にして決断をくだすように心がけてゆくと、案外に迷いが少なくなる。そして一時的には不幸になるようなことがもしあっても、やがて真の幸福が与えられるようになるのである。
(『丸山竹秋選集』より)