私たち人間は、食事をとらなければ生きていけません。
一人で食べることもあれば、家族と共に、または友人知人と一緒に食べることもあります。誰もが毎日繰り返す、生きる上で欠かすことのできない営みです。
ただ、生涯にわたって、好きなものだけを選んで食べるのは、なかなか難しいものです。たとえば、健康を害して入院すれば、日々の食事は制限されます。
人生の終盤に、介護施設などにお世話になることになれば、決まったメニューをいただくのが一般的でしょう。
ある介護施設では、利用者の希望に沿った「リクエスト食」の提供に取り組んでいます。
きっかけは、施設内での会議でした。利用者に快適に過ごしてもらうために、スタッフから、食事メニューの見直しについて提案があったのです。「誰にでも慣れ親しんだ味があるはずです。毎日は無理でも、利用者さんが食べたいものを提供する〝リクエスト食〟の日を設けてはどうか」というのがそのスタッフの意見でした。
この施設は、最大で10名が利用でき、スタッフは4名でお世話にあたっています。担当の管理栄養士により、毎日の食事メニューが決められています。
栄養面はもちろん、味や見た目にも気を配った食事を提供しているものの、どうしても同じようなメニューが多くなりがちでした。また、偏食があったり、その日の気分次第では、積極的に食べてもらえないこともあったのです。
Aさんの提案は採用され、カロリー計算やメニューの偏り、材料費などを考慮しつつ、少しずつリクエスト食の準備を進めました。
食べたいものを利用者に伺うと、「焼肉が食べたい」という男性、スイーツを希望する女性など、いろいろな声が挙がりました。
また、「外食はどのようなお店に出かけていましたか?」「子供の頃お好きだったものは?」と思い出を聞くだけで会話が弾みます。出身地の郷土料理について教えてもらうこともありました。普段は無口な方でも、食の話題になると、比較的笑顔で話してくれるようになり、施設全体に明るい雰囲気が生まれてきたのです。
認知症が進んでコミュニケーションが難しい利用者の場合は、ご家族に話を聞いて、メニューを決めることもありました。
そうした一つひとつのやりとりを記録しておき、月に一回程度、その方が好むメニューを提供するようになったのです。
リクエスト食の日になると、利用者は大変喜んでくれました。 「ありがとう」と満面の笑顔を見せてくれたり、「生きていてよかった」と涙を流す方もいました。
リクエスト食の取り組みを始めてから、通常メニューもしっかり食べてくれる利用者が増えたことも、喜びの一つでした。
食べるという営みは、単に栄養を摂取するだけではありません。食が人と人をつなぎ、過去と現在をつなぎ、未来を生きる希望にもつながっていくのでしょう。