致知

今回は、
二宮尊徳7代目子孫・中桐万里子さんの記事を転載させて頂きます。
新しい物の見方の勉強になりました。
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       「子孫が語る二宮尊徳」
       
       
        中桐万里子(二宮尊徳7代目子孫)
        
       『致知』2009年2月号より
http://www.chichi.co.jp/monthly/200902_index.html
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私の先祖である二宮尊徳は、
人間がどう生きるべきかを、
生涯にわたり考え続けた人だと思います。
尊徳が人間というものを捉える際に、
様々な場面で使っていたと思えるモデルが
「水車の例え話」です。
水車の下半分は天の力、
つまり水の流れに従わなければ回りませんが、
上半分はその流れに逆らわなければ、
水車は水車の用を足しません。
そうして
「半分従い、半分逆らう」
という姿勢を取ることによって、
初めて水車は水車となり、
人間の生活を助けるものになるのです。
要するに、半分は天に逆らうことこそが
人間の務めである、と。
その当時は飢饉が続き、天に逆らっていく力を人間が
失っていた時代であった分、
尊徳は特にその部分を強調して訴えたのだと思います。
この水車の例え話は、物事を考えたり、
行動を起こしたりする際にも
大きなヒントになると思います。
どうにもならない部分はどこなのか、
どうにかすべき部分はどこか、
と二つのことをバランスよく考えていれば、
物事の本質がよく見えてくる場合が多いのです。
     (略)
尊徳は、世界で初めての無利息貸しの
金融機関のようなものをつくった人だともいわれています。
無利息貸しであるにもかかわらず、
お金を借りた人から集まった報徳金と呼ばれるお金は、
どんどん増えていきました。
尊徳は、借りたお金を返して終わり、
というのでは天流に従っているだけで、
それは人間として本来あるべき姿ではないと訴えました。
「無利息でいい」といわれるところに、
ぐっと逆らってプラスアルファでお金を返してこそ、
人道なのだと。
例えば十両のお金を借りたとする。
月々一両ずつ返していけば十か月で完済する。
しかし尊徳は、そのまま残りの二か月も
同じように一両ずつ払って生活をしなさい。
そして、感謝の気持ちを行為で示しなさいと言うのです。
そのように完済後の二か月に払われた余分の二両で、
報徳金はどんどん増えていったのです。
するとお金を借りた人が、ただの助けられた人ではなく、
別の人を助ける側にもなれる。
そうやって尊徳は、
人間のプライドや尊厳をも復権させ、
困っている人たちを経済的にも
道徳的にも救っていったのでした。