作年、九州圏内のホテルで
結婚披露宴の開催数が最も多かったのは、鹿児島市の城山観光ホテルです。その数およそ九百組。しかし、同ホテルは十年前には六四〇億円もの負債を抱え、事実上の破綻状態にありました。
負債の私的整理後、再建の請負人として白羽の矢が立ったのが、現在の社長・伊牟田均(いむたひとし)氏です。伊牟田氏は鹿児島県に生まれ、大学卒業後に野村証券に入社。営業から関連企業の育成・再生と、携わった仕事は多岐に渡ります。野村証券での最後の仕事は、オークラガーデンホテル上海の最高経営責任者でした。
千葉県に終の住処を新築し、退職後は「女房と二人で静かに暮らそう」と心に決めていた矢先、故郷・鹿児島からホテル再建の依頼が舞い込みました。妻の反対、子供からの心配もあり、断ろうという思いもあったそうです。それでも鹿児島行きを決断したのは、「ビジネスマンとしての最後の仕事、愛する故郷への恩返しだ」という
郷土愛からでした。
社長就任後、社員には「ホテルではなく鹿児島を売り込め」と伝え、レストランで扱う食材は地産地消、社員も地元から採用するなど、徹底的な地域密着の方針で改革を進めました。昨年は、私的整理後、経常利益、利用客数ともに過去最高を達成しています。
「自分のためを思うならば、他の人のためを思うべきである。お客のためによい製品をつくるとき自分もそれでもうけさせてもらえるのである」(丸山竹秋・『新世』一九七三年六月号および「今週の倫理」八五八号)
経営上で窮地に陥るなど人生の岐路に立った時、自分の立場を考えるほど視野は狭まるものです。改善への方途も見えなくなりがちです。「お客様のために」「取引先のために」「地域のために」という判断基準を念頭に持つことが、決断の拠り所となり、道を切り拓いていくのでしょう。
また、伊牟田氏の成功は、第二の人生にさまざまな可能性があることを示してくれます。伊牟田氏
は故郷の企業再建を担いましたが、定年後にできることには多くの選択肢があります。企業での働きにとどまらず、地域の清掃や子育て支援、介護の手助けなどもその一例です。その世代の人たちの働きが、住みやすい街を作り、少子化に歯止めをかける鍵を握っているともいえるでしょう。
『論語』に「五十にして天命を知る」とあるように、孔子は「五十にして人は天から与えられた使命を知る」と説いています。孔子の時代、五十歳はかなりの晩年でした。多くの経験を重ねてきた人生の第二ステージこそ、自分の役割を知り、その働きに徹する、最良の時期なのかもしれません。
現代は、少子高齢社会だといわれます。この場合の「高齢社会」という言葉には暗い響きがありますが、本当にそうでしょうか。
それぞれの世代が、その世代だからこそできる働きに徹した時、「高齢社会」はむしろ明るい言葉として響いてこないでしょうか。