この度の東日本大震災では、想像を絶する被害が広範囲に及び、被災された方々の物心両面にわたる大きな傷は察して余りあります。心よりお見舞い申し上げると共に、一日でも早く復興への道筋が整い、皆様に笑顔が戻られることをお祈りいたします。
いま日本および世界各地では、復興支援の輪が大きな広がりを見せています。「被災された方々の一助になれば」と、物資の搬入や義援金の提供が個人・企業・団体で展開されています。それは先人たちが連綿と培ってきた尊き習慣が、今回の事態にあって発露しているといえるでしょう。
仏教では、自分以外の他者への様々な施しを「布施」と言います。昨今では、この「布施」という言葉は「葬儀や法要の際に、お寺や僧侶への謝礼として金品を渡す行為」として捉えられているようです。
もともと「布施」は、「財施(ざいせ)」「法施(ほっせ)」「無畏施(むいせ)」の三つに分けられます。
「財施」は金銭や被服などを施す意。
「法施」は仏法を説いて他人の苦しみを取り除き、精神的に支える意。
「無畏施」は「畏れ」をなくしてあげることから転じて、自分の労力を使って他人を勇気づけて負担を軽減する意。
つまり「布施」とは、自分さえよければという我欲や執着から離れて、他者のために自分のできることを精一杯する行為なのです。今こそ本来の意味の「布施」を、一人ひとりが強く念頭に置くべきでしょう。
『万人幸福の栞』第四条「人は鏡、万象はわが師(万象我師)」の冒頭にこうあります。
人は人、自分は自分と、別々のいきものだと考えるところに、人の世のいろいろの不幸がきざす。
また第十六条「己を尊び人に及ぼす(尊己及人)」の一節には次のようにあります。
己を尊ぶの極はささげるにある。ここに人を尊ぶと己を尊ぶと、一如の絶対境が現われる。(中略)人の喜びが、まことのわが喜びである。世と共に喜び、人の悲しみをわが悲しみとする。
この大震災を日本創生へ向かう途上の大事と捉え、自分には何ができるかを考えたいものです。私たちが日々学んでいる倫理を実践に移すのは、まさに今なのです。
今後の復興に際しては、息の長い支援活動が不可欠です。日本の政治・経済・社会活動を、早く本来のあるべき姿に戻すことが求められます。それには不確かな風評に惑わされることなく、今この瞬間に自身の為すべき事柄に精一杯の力を発揮しようとする気概が大切です。私たちにできるその最たるものが「まず自分の会社を健全に経営する」です。それは日本の正常化につながり、被災地復興への貢献となるのです。
今日一日、明日一日と、我が身が生かされている事実に感謝し、安きに流れがちな自己を奮い立たせましょう。持てる力を存分に発揮することから始めて、自らの命を、そして日本を輝かせていきましょう。