現代はインターネットを始めとする情報発信が急速に発展しています。瞬時に情報が伝わり、そして洪水のごとく溢れ返っています。その結果、何が正しくて何が間違いなのかが分からないまま、情報に振り回されてしまう場合があります。
逆説的に言えば、情報がないと動くことができないのが現代社会です。人は正しい情報から正しい理解が可能となり、正しい指示や正しい行動ができます。したがって、情報の正しさを見抜く力は不可欠です。
複数の情報を組み合わせることによって、別の情報が浮かんでくる場合もあります。円筒形を上から見れば、その形は「円」です。横から見れば「長方形」です。その二つの情報から「円筒形」という最終的な情報を得ることができます。
必要な情報を得るには「目的・目標」を明確にし、「見る」「聞く」を鮮明にすることです。例えば、車を買い換えようと目標を定めます。すると街を走っている車の見方が変わります。「あの車の色はいいな。どこのメーカーなんだろう。燃費はどれくらいなんだろう。値段はいくらぐらいするんだろう」と、自然と興味が湧いてきます。
それまでも一日に何十台、何百台と自動車は目に入っていたはずです。つまり目的・目標を明確にするとは、「見る」から「観る」に、「聞く」から「聴く」に意識を研ぎ澄ませていくことにほかなりません。
耳は「聞く」ものである。聞かねば耳ではない。まともに、ありのままに、淡々として私情私意、我情我欲を差し挟まずに、たださながらに聞く、これが本当の耳である。聞こえても、そのままの意味に取らなかったり、反対にとったり、裏を考えたり、ねじけたり、ひねったりする人の耳は、その耳がゆがんでいるのであろう。ゆがんでいるから言葉がねじけて入って来る。通りが悪い、途中にひっかかる、外情が内達せぬのである。門番にいかがわしい輩がいて、外界の様子をありのままにご主人に知らさないのに等しい」 (『清き耳』丸山敏雄著)
私たちは「見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない」という場合が多くあります。「そのままを聞き、そのままを見る」のです。耳の痛いことでも「そのまま、ありのまま」に聞くのです。まずは何も差し挟まずスナオに受け止めてみましょう。その時、目に映り耳に残るものの奥にある「真実」が浮かび上がってきます。
最後に、正しい情報を得るための最も重要なキーワードは「信」です。自分を信じる「自信」や「信念」、他人を信じる「信用」や「信頼」など、「信」は人間特有のものであり、社会生活を営む上で必要不可欠な倫理・道徳の根幹です。
とくに人間関係には「信用」「信頼」は欠かせない要素であり、職場などの社会的な集団が混乱なく健全に機能するための基本理念です。不信は疑惑を招き、不安を増幅します。そこから情報の不整合や伝達の齟齬も派生します。
「信」に満ちた情報の発信と受信を、あらためて強く銘肝しようではありませんか。