トイレ清掃における便器との対話を通して、心豊かな生活を送れるようになった倫友の体験談をご紹介します。
倫理研究所富士高原研修所において、入会間もないN氏がセミナーを受講した際のことです。講師のある話が氏の心に響きました。
「便器を素手で清掃すると、便器と会話が出来るようになるんですよ」
氏は驚きました。〈便器との対話〉といった内容に大変興味を惹かれましたが、それ以上に〈便器に素手で触れる〉掃除を実行している人がいるという事実を初めて知ったからでした。「ここでは受講者にも素手によるトイレ掃除を勧めています。皆さんも明朝の清掃タイムに是非いかがですか」と講師は促します。
N氏は、〈えーっ、不特定多数の人が使用する便器に素手を突っ込むなんて、とてもできやしない。だいたい、何でそんな不衛生なことを勧めるんだ〉という気持ちになりました。しかし、講師は続けてこう言ったのです。
「私も毎日掃除しますが、必ず汚す輩がいて、便器に汚物がこびり付いているのです。そんな時は、爪を使ってカリカリと落とすんです。するとね、ウン(運)がツイてくるんですよ」
氏はその駄洒落に苦笑いしつつ、〈うへーっ、汚い。幸運は引き寄せたいけれど、誰のものか分らない汚物に触れるなんて…〉という思いになり〈そんな実践は絶対に無理だ〉と心を閉ざしたのです。
するとその講師が目の前にやって来て、「私と握手しましょうか」と手を差し出したのです。そしてさらに言葉を継ぎました。
「もし、この世に便器が無かったなら、人は生きてはいけません。そう考えると、便器は私たちの生命を生かしめている、まさに父母の背中のような存在ではありませんか。どんな便であっても受け容れますしね。大切な人の身体を硬いブラシでゴシゴシ擦るのは果たしてどうなんでしょう」
結局N氏は、受講中には素手清掃をやらずに帰宅しました。しかし〈便器との会話〉が出来るようになりたいとの好奇心も捨て切れません。
それから三カ月ほど悩んだ末、意を決しました。洗剤とブラシで我が家の便器をこれでもかというほどに磨いたのです。大腸菌一匹とていない状況を作り上げました。しかし、まだ躊躇する気持ちは消えません。それでも〈自分への挑戦だ〉と、目をつぶって手の平を便器に突っ込んだのでした。
〈以前からずっと知っていたような、とても心地よい感触だった〉と、氏はその瞬間を振り返ります。
その日以来、素手清掃が日課となり、夢中で前のめりになって取り組みます。時には頬が便器に触れてしまうこともありましたが、〈なんて身近な存在なんだ〉と思わず頬ずりしてしまうほど、嬉しく感じるようにもなったのです。
無心に便器掃除を始めるようになって三週間ほど経った頃、氏の口からふいに言葉が衝いて出ました。
〈どうだ、気持ちいいか〉
すると言葉が返ってきました。
〈うん、気持ちいいよ〉
確かに便器の声(返事)を聴くという主観的交流体験を果たしたのでした。
それ以来、氏は用を足すたびに、仕事上のタイムリーなインスピレーションを得られるようになったのでした。