私たちは、服、食べ物、乗り物など、多くの物に支えられています。そして、それらは欲望の対象となってきました。素敵な服を着たい、美味しい物が食べたい、良い車に乗りたい等、豊かな暮らしは多くの人が望むところでしょう。
しかし人は、物に恵まれたいと考えながらも、いざ与えられるとそれらをぞんざいに扱ってしまうことがあります。古い書類の溜まった引き出し、散乱した机の上、埃をかぶった棚などです。このような生活では、せっかく物に恵まれていても、じきに壊れる、早くに失くしてしまうなど、物を生かすことはできません。
逆に日頃から整理を心がけ、物を大切に扱えば、長持ちをし、安易に失くすこともありません。物を大切にする人は、物からも大切にされるのです。
さて、日本には古くからの民話が数多く遺されています。それらが先人の体験的学習により生まれたであろうことを考えると、今読んでもなお、現代生活に対する教訓を得ます。以下に紹介するのは、愛知県日間賀島(ひまかじま)に伝わる「かしき長者」という昔話す。
で昔あるところに、一人の信心深い「かしき」(漁船の炊事係)がいました。かしきは「どんな食べ物でも、神様から授かったものだから粗末にしてはならない」と母親から教えられていた為、食べ残しも無駄にせず、魚に与えていました。
そんなある日のこと、かしきがいつものように魚に食べ残しをあげていると、突然、海が見渡す限りの砂浜に変わりました。かしきはそれを見て「これは良い鍋の磨き砂が手に入った」と、大喜びで桶一杯に砂をつめ、船へと持ち帰ったのです。そして翌朝、桶を見ると、その砂が金に変わっていました。
こうしてそのかしきは立派な長者となり、島の人たちは「これまでの善行のごほうびに海の神様が与えたものだ」といって、「かと呼び親しんだそうです。
しき長者」▽
この昔話のように、日本には神の助けにより長者になった話が多くあります。それら幸運に恵まれる主人公に共通しているのは、私利私欲にとらわれず、物を大切にしているという点です。
丸山敏雄は『純粋倫理原論』の中で、「倫理より見る物の本質」を四つ挙げ、それと共に物に対する心構えを記しています。
①物は「天与のもの」である。
人は物の加工はできても、無からは作り出すことはできない。ゆえに物を自分の物とせず、物を自分勝手にすべきではない。
②物は生きている。
物にも心がある。ゆえに物に対しても、人と接するように真心を込めて接する。
③物は生活の反射鏡。
物の盛衰は、心の盈虚と同じ調子に現われる。ゆえに、環境・周囲に苦難が現われたときは、自分の心・生活を反省する。
④四囲の物質は、人を生かし、守り、正しい方向を示し、苦難を脱却せんと不断の努力を続けている。
ゆえに商品が売れず、製品が堆積しようと、また一物も無くなって明日から食う物に困ろうと、心朗らかに、ただ正しい働きを続けていれば、きっと事情は好転する。
事業が行き詰まった時には、まずは感謝の心で物を大切にし、職場を朗らかな心で清掃してみてはいかがでしょう。