私たち人間は、個々人の「考え方」というものが、その生き方に影響を与えます。
例えば「夫婦は仲良く協力することがいい」という考え方は、「共に暮らす」というライフスタイルを選ばせます。人は〈何が良いことなのか〉を考え、それに従って行動を決定していきます。その「良いこと」の価値基準は国や地域によって異なります。
日本人の倫理観は、自然を愛した古代日本人の心情を基調とし、その後、伝来した『論語』などの言葉を当てはめて説明されます。
①古代においては、太陽を崇拝し、自然と共に生きる大らかな考え方が人々の倫理観の中心でした。
②奈良・平安時代に入ると、鎮護国家として、仏教を持って国家を治めるようになり、仏教思想が人々の倫理観に大きく影響を与えていきました。
③江戸時代には、儒教のひとつである朱子学を中心に仏教や神道などの影響を強く受けて倫理観が形成されていきます。武士道では「努力」「忍耐」といった修業的性格を美徳としていました。庶民間では「石門心学」といった商人道徳が栄え、町人としての経験を踏まえた倫理観が浸透していきました。
④明治以降、西洋の価値観が移入され、思想の混乱期を迎えます。日本人としての生き方や倫理観を明確に示す必要に迫られ、政府は教育勅語を日本人の倫理観として学校で教えました。
⑤戦後においては、無意識的に伝統的道徳に従って行動していると考えられており、日本人の倫理観を形成しています。しかし現在、伝統的な倫理観が喪失した状態であることに警鐘が鳴らされています。
日本人の倫理観の変遷には素晴らしいものがありますが、弱点もあったのです。倫理研究所創立者・丸山敏雄はその弱点を、「最も重大なことは、道徳と幸不幸と一致せぬ、ということ」(『万人幸福の栞』)と指摘しています。
ドイツの大哲学者カントは、人間の行なう善悪と幸不幸の一致は、この世において求められないと主張しました。どれほどの善を行なおうと、またどれほどの悪を行なおうと、幸福になるか不幸になるかとは、結びつかないというのです。
しかし丸山敏雄はそれに異を唱えました。道徳と幸福が一致〈徳福一致〉する生活法則を「発掘」することで、最高善を追求していったのです。 生活法則は、次第に姿、形を整えてきました。やがて敗戦を機に、丸山敏雄はその生活法則を世に示し、道義の再建を期した社会教育運動、すなわち倫理運動を推進する決意を固めたのです。
丸山敏雄が追い求めた「最高善」とは何でしょうか。それは「いつ、どこで、誰が、どのように行なっても、人を幸福にし、己も幸福になる善」のことです。そして悪しき習慣として、「例えば、心配しながら、結果を予想しながら、事に当たるといったようなことである。(中略)しかし、こんな心持でした事は、必ず結果がよくない」と述べています。
真に正しいこととは、まず自分が救われ、それと一緒に人が救われることです。自分の掲げた燈火によって人をもまた救う。世の中を光明に導く火(善)を追い求めたいものです。