良き出会いは道を拓き、悪しき出会いは身を滅ぼす

人生は出会いと別れの連続です。その出会いは、人であり仕事であり、ある時は商品や技術などの場合もあります。
しかし出会いは、自分にとって必ずしもプラスの場合だけでなく、人生をも狂わせるマイナスの場合もあります。
 思い出せば頭が下がり、あの人のお陰で今の自分があると、ただただ感謝で一杯の出会いがあります。逆に、思うだけで苦々しさが込み上げる出会いもあります。なぜ自分はあの話に乗ったのだろう。あの話に乗らなければ、こんな人生を歩んでいなかったのに…という悔恨の出会いです。
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Sさんは極貧の家庭に生まれました。兄弟が多く、食べるだけで精一杯の家庭の中で、小さい頃はいつもお腹をすかし、一日に三度の食事をとることが夢でした。働き手の一人として親からは期待され、満足な教育を受けられないまま、中学校を卒業して社会へと巣立っていったのです。
 お金になる仕事は何でもしました。少しでも給与が高いところに転職を繰り返し、〈世の中は金がすべてだ〉と割り切って生きてきたのです。お金がたまると不思議と人が寄ってきて、なけなしの金を騙し取られることも少なくありませんでした。
 三十歳の時に所帯を持ち土建関連の小さな請け負いを始めました。夫婦で昼夜を問わず骨身を削り、どんな仕事でも必死で取り組みました。最初は人も金も物も、ましてや信用も実績もないSさんでしたが、周囲もSさんの働きぶりを見て少しずつ仕事を回してくれるようになり、信用もついてくるようになりました。
好況を追い風として、それなりに会社は大きくなっていきました。すると、今まで言葉もまともにかけてこなかった人間が忍び寄ってきては、Sさんをもてはやすのです。「Sさんは若い頃より何かやる人物だと思っていたが、さすがにたいしたものだ」と褒めちぎり、「社長、社長」と持ち上げるのです。いつしかSさんは、仕事そっちのけで夜の世界へと足を踏み込んでいくようになりました。
 妻が「このままでは会社はダメになってしまいます。今週に落とさなければならない手形のお金もありません」と言っても、「金は天下のまわりもの」とうそぶき、金をまるで親の敵のように扱うのでした。心ある人がSさんに「積み上げてきた実績が台無しになるぞ」と忠告をしても、まったく耳を傾けることはありませんでした。
 そのうち会社は倒産し、大きな負債を抱える末路となりました。「社長、社長」とはやし立てていた連中も一人去り二人去り、気づいた時は誰もいませんでした。妻は子供を連れて家を出て行き、Sさんは一人取り残され、現在は再起に向け黙々と努力している最中です。
 良い出会い、悪い出会いは、すべて自分が招くといってもいいでしょう。同じものを見聞きしても、それをチャンスと見るか、それとも手を出すべきでないと見るかは、すべてその人自身にかかっています。
 常に脇を締め、少しでも世のため人のために役に立とうという心を持つ時にこそ、不思議と良き出会いが生じます。そこに道が拓けるものと信じて、今という時を喜んで進もうではありませんか。