本物の実践こそが自他を成長させる

倫理研究所創立者・丸山敏雄がこの世に生を享け、今年で百二十年という大きな節目を迎えました。
丸山敏雄は福岡県築上郡合河村字天和に丸山家の四男として生まれ、激動の明治、大正、そして昭和を駆け抜けました。
 特に昭和二十年の敗戦を境に、人心荒廃の日本人の姿を目にし、〈このままでは日本は本当に駄目になってしまう〉と、果敢に自ら純粋倫理をもって日本再建に乗り出したのです。
 丸山敏雄は多くの著作を遺していますが、その中に青年向けに書かれた『青春の倫理』という本があります。その本の書き出しに「青年よ、足下を掘れ」という文章があり、その中に「フンの中に生まれた虫はフンのにおいを知らぬ」という一文があります。
 私たちはその環境の中に入ってしまうと、自分のやっていることが、正しいことなのか、それとも誤っているのか、自分自身では判断できない場合があります。
 今まで当たり前と信じてやってきたことが、世間や他人から見ると非常識であると受け止められる場合があります。そればかりか、自分ではわかっていなかったということがあり、事の顛末に愕然とする時があるものです。
 例えて言えば、手に取るように妻の気持ちはわかっており、妻との間には何のわだかまりもなく、心が通い合った夫婦だと思い込んでいた夫が、ある日「あなたは人の言うことを一切聞かない自分勝手な人だ」と言われ、その後は妻からの一つひとつの指摘に打ちのめされるということです。
「あなたは私が一所懸命に話しかけても、テレビや新聞を読みながら上の空で聞いている。一度でも私の顔をキチンと見て話を聞いたことがありますか。食事の時や用事がある時、あなたを呼んでも一度もハイと返事をしたことがないし、三度の食事も美味しいのか不味いのか何も言わない」などと、妻から不満をぶちまけられるのです。
 親子関係や隣近所との関係などを改めて見つめ直してみると、私たちは実にもろい状態にあるのかもしれません。額に汗を流し、誠心誠意、相手の幸せを念じつつ仕事をやってきたつもりであっても、相手が自社をどのように捉えているのか、わからなくなっている場合もあるのではないでしょうか。
 社員のことを思い、何事も社員の先頭に立って実践してきたつもりが、その自分の熱い思いがまったく社員に伝わっていないばかりか、「社長はお天気屋やでワガママで身勝手な人だ」と思われていたという場合もあるでしょう。自分の思惑と相手の受け止め方には、大きな隔たりがあるケースがあるのです。
 今一度、足下を見直してみましょう。やっていたつもりであったものが、独りよがりであったかも知れないと、朝起きてから夜床につくまでの一つひとつの実践を吟味して、まずやれることから徹底的にやるのです。
 必ずやっただけの結果が出るものです。本物であってこそ、環境が動くのです。相手を変えようとするのではなく、自らが実践を通して変わりましょう。幸不幸のもとは、私たちの足下にあるのです。