精魂を込めた名工の仕事ぶりは、日本の
伝統を支えてきた「技」の一つです。現代
ではデザイナーと名工との共同作業も見ら
れます。国内外で評価の高い、柳宗理(やな
ぎ・そうり)氏と㈱天童木工の作品「バタフ
ライスツール」という椅子などは、その一
つといえるでしょう。
物作りに従事する四十代のM氏が、作品
が売れないと途方に暮れていた時のことで
す。東京都の小平市立平櫛田中彫刻美術館
で、平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)氏の「い
まやらねばいつできる、わしがやらねばた
れがやる」の書を見つけました。そして〈自
分にできることは何なのだろう〉と振り返
ったのです。
M氏が物作りの世界で生きる決心をし、
ある師匠に弟子入りをしたのは二十六歳の
時でした。当時七十歳の師匠が「六十、七
十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から、
わしもこれからこれから」という平櫛氏の
言葉があると教えてくれたのです。そして
その師匠は「私などまだまだ鼻たれ小僧だ。
ここからだ」と力強く語ったのです。
平櫛氏は 明治五年に現在の岡山県井原
市に生まれ、青年期に大阪の人形師・中谷
省古の元で彫刻修業をした後、上京して高
村光雲の門下生となりました。精神性の強
い彫刻作品を制作したことで知られます。
彫刻家の平櫛氏が、本格的に「書」に打
ち込むようになったのは、八十歳を過ぎた
頃といわれています。老齢により耳が不自
由になってからは、電話が使えないので毎
日のように手紙を書いて連絡をとってい
ました。
百七歳でその生を全うしますが、百歳の
誕生日の時に向こう三十年分の彫刻の材
料を買い込み、そこで「六十、七十は…」
の言葉が生まれたのです。
美術館のフロアにたたずむM氏の脳裏に、
往時の師とのやりとりが甦りました。そし
て今の自分の身を省みたのです。
〈この資材は何年後かにはもう使わなくな
るものだから、という頭でいたとしたらど
うか。平櫛氏のように三十年分の材料を購
入することはできないだろうが、果たして
自分はどれだけの覚悟を持って仕事に精魂
を傾けているだろうか〉
そして〈時勢や経済に責任転嫁をし、自
分ができる物作りに全身全霊で打ち込んで
いただろうか。いや違う〉と強く思ったの
でした。
決心とは、平櫛氏のように準備を万端に
することで退路を断ち、現実の事柄と誠実
に向き合っていくことです。目の前の現象
に右往左往し、「もしかしたら」「たぶん」
「〜と思う」などの言葉に甘えを求めて、
塞いだはずの退路を突貫工事しているよう
では、決心したとは言えません。
「決心は九分の成就」です。断固とした決
心を元に、諦めず、めげず、「これでもか、
これでもか」と繰り返し繰り返し行なうこ
とで、強固な信念は培われるのです。