「耳ざわりのいい言葉には気をつけろ」と昔
から言われます。心地よく響く言葉には、人
の理性を狂わせ酔わせるものがあるようです。
企業コンサルタントの小林氏が若い頃のこ
とです。社内の研修部門で経験を蓄積し、い
よいよ現場へと巣立つことになった時、先輩
から餞(はなむけ)の言葉をもらいました。
「現場に出ていく君に、一言いっておきたい
ことがある。当社の顧問企業には、人生の辛
酸を舐め、それを力強く乗り切ってきた多く
の先輩がいる。その先輩たちが、まだ若い君
を『先生』と呼んでくださるだろう。その言
葉に対し君がどのように反応するかで、君の
人生は決まるといっていい。先生と呼ばれる
たびに〈自分はそんな中味の人間ではない〉
と恥じ入り、先生と呼ばれてもおかしくない
自分になろうと励みにするのであれば、大き
く道を踏みはずすことはないだろう。『先生』
という言葉には注意するように」
顧問企業の指導にあたるようになった氏は、
目の前の相手から「小林先生」と呼ばれるた
びに先輩の言葉を思い起こし、ひたすらに自
己を高めようと努力しました。
しかし人間とはやっかいなもので、そのう
ち先生といわれることに慣れていったのです。
ある日のこと、顧問先の若手社員を中心と
した会合に小林氏は顔を出しました。先月に
課題として与えていたものが全員手つかずの
状態であったことに、思わず小林氏は一人ひ
とりを名指しで厳しく責め立てたのです。
「普段からだらしのない生活をしているから
このザマだ。だいたい君らはやる気があるの
か」と机を叩いて怒鳴りまくったのです。
すると年端もいかぬ青年が突然立ち上がり、
「小林君、そんな言い方はないだろう。自分
たちはそれぞれ業務をこなしながら取り組ん
でいるんだ。確かに課題をやらなかったこと
は僕たちに非があるが…」と言ったのです。
小林氏はこの青年の「小林君」という言葉
を聞いた瞬間、〈こいつ、俺を君づけで呼んだ
な。なぜ『先生』と言わない!〉と逆切れし
かかったのですが、冷静になる中でかつての
先輩の言葉を思い出したのでした。
〈そういえばここ数年、「先生」という言葉に
酔いしれ、戒めとして常に精進することを忘
れていたな。なんと情けないことか…〉
年長者を君づけで呼ぶこと自体は誉められ
たものではありませんが、しかし小林氏は今
でも「小林君」と呼んでくれた青年に感謝し
ています。「彼があの日、『小林君』と呼ばな
ければ、もっと鼻持ちならぬ人間に自分はな
っていた。まさにあの時の一言は、私を正気
に引き戻してくれた」と述懐します。
この「先生」という言葉に匹敵するものに、
「社長さん」という呼ばれ方があります。「社
長さん、社長さん」と言われているうちに、
自分を見失う経営者が少なからずいるようで
す。必要以上に背伸びをして脇が甘くなり、
妙に気前がよくなっては不必要な金をばらま
いてみたり、どうでもいいことを引き受けた
り…。時には連帯保証の押印をした後、その
処理に非常な苦労をしてみたりと、とかく耳
ざわりのいい言葉には注意が肝要です。
足下をしっかりと見つめ、自分がやるべき
ことに情熱を傾けるのです。そして名実とも
に「社長」と呼ばれるにふさわしい人格を確
立するのです。「社長」として恥ずかしくない
人物へと自己を磨き高めていきましょう。