成功は最低の教師だ――。
これは、二十世紀最大のビジネス成功者の一人、ビル・ゲイツの言葉です。その理由を、ゲイツは「賢い人間をたぶらかして、失敗するわけがないと思わせてしまう」と後に述べています。成功に酔いしれて進歩向上を忘れると、衰退を招きます。
ゲイツの言葉は、今年最初の「今週の倫理」で紹介した、世阿弥の「初心忘るべからず」と通じるところがあります。この言葉は、「最初の稚拙さを忘れることが進歩向上を阻む」という戒めと、「未熟だった頃を忘れず努力すること」の大切さを説いたものでした。
そして、忘れてはならない初心として、「是非初心」(ぜひのしょしん)、「時々初心」(じじのしょしん)、「老後初心」(ろうごのしょしん)の三つが続きます。
一つ目は、青少年期の未熟さを忘れずに精進すること。二つ目は、地位や年齢が上がっても、「今が一年生」と常に上を目指して、初心に帰ること。三つ目は、老年においても物事に完成はないとして、常に初心の心で磨きをかけていくことを述べています。
世阿弥の精神を、先のビル・ゲイツの言葉に置き換えると、「失敗こそ最高の教師だ」「なぜなら、未熟な段階を心に留め、常に謙虚に向上しようとさせるから」となるのではないでしょうか。
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長く生き延びる企業は、往々にして、初心や本(もと)を大切にしているところがあります。
山梨県南巨摩郡にある西山温泉慶雲館は、世界最古の旅館として、ギネスにも認定されている温泉宿です。創業は飛鳥時代(西暦七〇五年)。慶雲館の家宝の一つが、天文五年の銘が刻まれている鰐口(わにぐち)です。これは武田信玄の家臣・穴山梅雪(あなやまばいせつ)から寄贈されたものといわれ、四五〇年以上経った今も、大切に保存されています。
当主は、家業継続の秘訣として「温泉を守ることだけに専心したお陰。副業に手を出していたら、とっくに潰れていた」と語っています。初心を大切にする習慣が、変化興亡の中を生き抜く鍵なのかもしれません。
今年は午年です。「午」は陰陽の陽の極地を表し、太陽が最も高く上がった状態を示します。また、頂上まで上り詰めたものが、やがて陰に傾き始めることも意味している、と言われます。
「初心忘るべからず」の謙虚な姿勢で仕事に取り組み、「午」の勢いに乗るか。それとも、下降の波に乗るか。これは、その人の心がけ次第でしょう。
「開店の日のいきごみと、友人のよせられた厚意を忘れるから、少しの困難にも、気をくじかせる。終始一貫ということは、成功の秘訣であるが、これが出来ないのは、皆本を忘れるからである」
(『万人幸福の栞』丸山敏雄)
初心と共に、恩を思い起こすことで、時代の波に翻弄されないエネルギーが沸いてきます。そのエネルギーで、良い一年のスタートを切りたいものです。