倫理運動がスタートしたのは、戦後まもなくです。戦後の混乱の中、丸山敏雄が訴えた純粋倫理の生活法則とは、どのようなものだったのでしょう。それは「守れば幸福になり、はずれればきっと不幸になるという、新しい絶対倫理を打ち立てること」でした。
ここでは、「新しい」「絶対倫理」と表現しています。新しいとは、それまで常識とされていた道徳や倫理と比べての表現です。
一般的な道徳の致命的な欠陥は、「道徳と幸不幸が必ずしも一致しない」ことでした。正直者が必ず幸福に暮らせるとは限らない。守っても、実際の生活上の効果はわかりづらい。むしろ守ると損をすることもある――それでは誰も守ろうとはしないでしょう。
そのような道徳・倫理とは一線を画す意味で、純粋倫理は「新しく」と表現されました。そして、実行すれば必ず幸せになれるという点で「絶対倫理」とも呼ばれました。
純粋倫理を実証する過程において、丸山敏雄は、科学と同様「実験」によって証明していく手法をとりました。
実験とは、実際にやってみることです。その実験による研究の手がかりとしたものが「苦難」です。病気や災難、家族の関係、対人問題、経営不振など、人生の中でさまざまに起こる苦難があるからこそ、正しい倫理(みち)がはっきりわかるというのです。
ここに苦難に見舞われた人がいるとしよう。研究者は、邪念妄想なき心境でその人が受けている苦難の原因を直感し、これを相手に告げる。相手は、指摘された原因を除くための実践に素直に取り組む。その結果、苦難は解決する(かどうか)、という実験である。 『丸山敏雄伝』
倫理研究所が発行する『新世』には、毎月二本の「体験記」が寄稿されます。体験とは、苦難を機に実際に倫理を実践してみて、それでどうなったのか、という生きた報告です。
たとえば、十二月号には熊本県で菊栽培業を営むMさんの体験が掲載されています。
Mさんは菊の栽培が軌道に乗らず、精神的にも経済的にも厳しい状況に追い込まれている中で、純粋倫理と出合いました。先に倫理を学んでいた妻に勧められて講習を受講し、〈自分も実践すれば何か変われるかもしれない〉と、一歩を踏み出しました。
親を喜ばせることを一番に考え、実際に行動に移していったところ、少しずつ心のもやもやが晴れていきました。妻の名前を呼んで挨拶を交わし、夫婦で公衆トイレの清掃にも取り組みました。
〈家族みんなが健康で協力してくれるからこの仕事ができる〉と、感謝の思いが深まる中で、Mさんの菊は品評会で最優秀賞を獲得したのです。気がつけば、仕事そのものを天職だと思えるようになっていました。
ポイントは、理屈ではなく実際にやってみることです。実験してみることです。苦難が転じて福となす生活の法則を、皆さんも実験されてはいかがでしょうか。