『葉隠(はがくれ)』は、佐賀藩士・山本常朝が語った武士のあり方や心得を、当時浪人だった佐賀藩士の田代陣基が聞き書きした書物です。この書は当時(江戸時代中期)、藩内でも禁書の扱いを受けていました。
また、戦時中は戦意昂揚のために利用され、戦後は危険思想とみなされていた時期もありましたが、現代では、新渡戸稲造が世界に発信した『武士道』とともに、日本人の行動哲学書として価値が高まっています。その中に、現代でも通用する数々の倫理観が記されていますので、いくつかを紹介しましょう。
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①「毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり」
現代訳「毎朝毎晩、死を意識しているときは、武士の覚悟が身について、一生過ちがなく武士としての務めを果たすことができる」
何事も死ぬ気で取り組むときに思わぬ力が発揮され、物事が成功するという意味でしょう。
②「大酒にて後れを取りたる人数多なり。別して残念の事なり。先づ我がたけ分をよく覚え、その上は呑まぬ様にありたきなり。その内にも、時により、酔ひ過す事あり。酒座にては就中気をぬかさず、不圖事出来ても間に合ふ様に了簡あるべき事なり。又酒宴は公界ものなり。心得べき事なり」
現代訳「酒を飲み過ぎて失敗した者は多い。まったく残念である。まずは自分が飲める限界を知り、それ以上は飲まないことだ。それでも飲み過ぎることがある。酒の席では気を抜かず、緊急なことにもすぐ対処できるよう心掛けることが大切である。さらに酒の席は公の場であることを心得ておくべきである」
お酒を飲むときの心構えとして、気をつけなければならないことが含まれています。
③「世に教訓をする人は多し、教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人は稀なり。年三十も越したる者は、教訓する人もなし。教訓の道ふさがりて、我儘なる故、一生非を重ね、愚を増して、すたるなり。道を知れる人には、何卒馴れ近づきて教訓を受くべき事なり」
現代訳「世の中には教訓を言う人は多いが、教訓を言われて喜ぶ人は少ない。ましてや教訓に従う人はほとんどいない。三十歳を過ぎると教訓を言ってくれる人もいなくなる。そうなると人間は自分勝手になって失敗を重ねて駄目になってしまう。道理をわきまえた人に近づき、親しんで、教訓を受けることが大事である」
目上や周囲の人からの教訓や苦言に耳を傾け、厳しいことを言ってくれる人を大事にする大切さを教えてくれる一節です。
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『葉隠』には「人としてどう生きていくべきか」の人生訓がちりばめられています。先人の教えから、幸せに生きていくための原理原則を発見して取り組んでみたいものです。