いずれ誰にでも訪れる「死」をどのように受け止めればよいのか、肉親の死に直面した時、悲嘆を癒やす過程において、純粋倫理は有効に作用するのか――という問いに答えた本があります。
『悲嘆からの贈りもの~最愛の肉親の死を乗り越えて』(倫理研究所編)です。倫理研究所にはかつて、倫理版グリーフワーク(悲嘆の癒し作業)の確立へ向けた研究グループがありました。本書は、その研究成果をまとめたものです。
研究は、純粋倫理の視点において「死」「寿命」をどう捉えるか、という問いから始まりました。先行研究の文献調査を中心に、全国から寄せられた実践事例の検証や相当数の聴き取り調査を行ないました。
調査を通じて、「寿命とは、生命活動全般を指し、この世に担った使命を果たすために限られた時間である」と位置づけると共に、「人のいのちの価値は、長短では測れない。生涯の長さよりも、どう生きたかという生の密度が重要な意味を持つ」という一定の見解を導くに至りました。
聴き取り調査は主に、肉親の死を迎えたご遺族を対象に行ないました。
話を伺う中で、純粋倫理を学ぶ会友の中に、「死は敗北であり、罪や罰の代償」であるかのように、悲観的に捉えている方がいることを知りました。〈あなたが悪いからこうなった〉と心ない言葉を周囲から浴びせられ、深く傷つき、自責の念に駆られ続ける方にも出会いました。
また一方では、悲しみを受け止め、乗り越えて、心を安らかに保っている方もいらっしゃいました。
様々な研究調査を経て、悲しみを癒やす倫理的なアプローチとして抽出したのは次の三点です。
一つ目は、「故人への語りかけ」です。亡き方を身近な存在として感じ、挨拶や依頼ごと、祈りを通して声をかけるなど、積極的な関わり合いを重ねることです。
二つ目は、「故人の遺志を引き継ぐ喜びの働き」です。故人の思いの実現に向けた取り組みを喜びいっぱいに行なうこと。また、現在、自分の仕事や地域活動などで引き受けていた役割を喜んで努めることです。
三つ目は、「亡き御霊に対する積極的な感謝」です。故人が家の守り神となって見守ってくれていることを信じ、感謝を捧げつつ、亡き肉親の御霊の存在を思い起こす取り組みです。
これらの実践を総称して「祖霊迎拝の倫理」と捉えています。その、もととなる思想は、「死は生なり」という純粋倫理の独自の思想です。
死は誰にでも訪れること。今ある生を、与えられた命をいっぱいに輝かせるためにも、時に死を見つめるということから、「どう生きるか」を問い直していきたいものです。