変革の中にこそ本質が蘇る

今年は伊勢神宮のご遷宮の年です。大祭のクライマックスは、ご神体が本殿から新殿へ移される遷御(せんぎょ)で、来月十月二日と五日に行なわれます。
 世界でも例を見ない、この二十年に一度の祭典は、日本の歴史のサイクルと深く関係しているといわれています。
また、遷宮のサイクルである二十年を四倍した八十年ごとに歴史を区切ってみると、さらに大きな変革の節目であることに気づかされます。八十年ごとに価値観の大きな変革が起こるとともに、かつ日本の古い精神的伝統が蘇っているのです。
 たとえば、今から八十年前といえば、世界大恐慌が起こり、日本にとっては第二次世界大戦へと歩みを進めていかざるを得ない時代でした。第五十八回ご遷宮(一九二九年)からの二十年は、まさに戦前と戦後の価値観の大きな転換期でした。
昭和天皇が終戦後の詔書で国民に呼びかけた第一の内容が、明治天皇が掲げた五箇条のご誓文でした。そこに示されているのは「和」の精神です。聖徳太子以来の精神的伝統がその後の日本的経営の基盤となり、戦後の復興を支えました。
 さらに遡って一九二九年の八十年前にも、大きな転換期となる出来事がありました。第五十四回ご遷宮(一八四九年)の四年後に、ペリーが来航します。そして、ご遷宮からおよそ二十年後の明治維新。このとき明治天皇は、王政復古の大号令で「神武創業の始めに原(もと)づき……」と詔を発し、国の本(もと)にかえる宣言をしています。
 第五十四回の八十年前(一七六九年)は鎖国の時代でしたが、洋書が解禁となり、蘭学が大流行しました。その時代の転換期に起きたのが、本居宣長に代表される日本固有の文化を追求する国学の勃興です。
 このように伊勢のご遷宮に沿って八十年ごとに歴史を振り返ると、大きな変革の最中に、本来の精神的伝統もまた蘇り、その時代に即したものとして、新たに再生されてきたことがわかります。
 倫理運動の創始者・丸山敏雄は、著書『純粋倫理原論』でこう述べています。
その変わるべきは、あくまで活発に変わり、変わるべからざるは、民族の発生以来、不変不動、而して難にあえばいよいよ改まり、変にあえばますます進む。亡びるがごとくにして、また自然に回復し、何時の間にか民族の巨火をかかげる。
 この「易不易の原理」を経営に当てはめると、創業の精神や心は変えず、本質は守ること、技術や手法、戦略は、時代や状況に応じて柔軟に変えていくこととなるでしょう。
 倫理の実践は、まず自らが変わることです。変わっていく中で、初心を思い起こしたり、変えてはならない仕事の本質も見えてきます。易不易を見定めるためにも、新たな実践にチャレンジしてみましょう。