元プロレスラーのY氏は、現役時代、練習や試合後、腰が痛い日々を送っていました。
その旨を仲間に伝えたところ、ある治療院を紹介してくれました。その治療院は有名な格闘家や相撲部屋のトレーナーでもありました。一回や二回診てもらっただけでは良くなるとは思っていなかったY氏は、半信半疑な気持ちで治療を受けました。ところが、たった一回の治療で劇的に腰が楽になり、その治療に深く感動したのでした。
本来、格闘家は、人の体とぶつかり合うために自分の体を鍛え、技を磨いていきます。しかし、ぶつかり合った結果、自分の体を痛めてしまった場合、痛めたところを治しながら、練習して試合に臨むことになります。
治療院の先生は「治すこととぶつかることは一緒であって、どれだけ人間の体を知っているかが大事なのです」と言いました。Y氏は、先生の興味深い話に、整体治療に関心を持つようになっていきました。
格闘家を五十歳・六十歳まで続けられるわけもなく、四十歳前後で区切りをつけて、その後は治療院を開業したいという思いが募っていきました。その後もY氏が患者として治療を受けながら、本当に困ったり落ち込んだり、もうプロレスができなくなるというところまで追い込まれた時にも救ってくれたこと、また体を良い状態に治療してくれたことに対して、心の底から感謝することができたのです。
Y氏は、現役生活を続けながら医療関係の学校へ通い始めます。〈勉強をし、自分の体や後輩の体の状態を治療し、事故や怪我に対応できるようになりたい〉という思いが強まっていったのです。
Y氏が第二の人生を決めるにあたって、大きなきっかけがありました。仲間が道場で練習中に頭を打って亡くなる場面に遭遇したのです。強い衝撃を受けたY氏は改めて、プロレスラーは、危険な職業なのだということを再認識させられました。〈自分自身も残りわずかな現役生活であるが、死に関わるような事故につながることがあるかもしれない〉という思いがよぎりました。そして、〈このような事故を二度と起こさせない〉という思いから、引退後に治療院を開業すると心が決まりました。
Y氏の引退の日が決まり、三カ月後に引退試合をすることになりました。その日から、現役生活を続けながら治療院を開業する準備を着々と進めていったのでした。
倫理研究所の創設者・丸山敏雄は「『はたらき』の目標が決まり、軌道に乗った、これを『職業』と言う。職業がその意義に徹し、これを楽しむとき、これを『天職』という」と述べています。新たな目標に進む際、今就いている仕事を天から与えられた尊い仕事であると自覚することが重要なのです。『天職』の自覚は、仕事に対して惚れ抜いているかです。命をかけて打ち込み、惚れ抜いて働くことが人生最高の生きがいと言えます。
自分の使命を決して疎かにせず、今やるべきことに全力を尽くすのです。一歩一歩着実に、歩んでいきましょう。