学ぶ姿勢を忘れず 着実に自己成長させる

K氏は経営者の集う勉強会で、無事に講演を終えて講師席に戻りました。司会者から終了が告げられた直後、最前列に座っていた初老の経営者M氏が立ち上がり、K氏のところへ駆け寄ってきたのです。
講師経験の少ない若手のK氏は〈もしかしたら何か小言でも言われるのではないか〉とうつむいてしまいました。ところが、目の前にM氏の手が差し出されたのです。M氏はニコニコしながら「K先生、今日はいい話を聞いた。とても勉強になったよ。ありがとう」と深々と頭を下げ、K氏の手を握ってくれたのです。
K氏はM氏を含む経営者の勉強会で三年間講師を務めました。毎月開催されるその勉強会で、M氏は常に最前列の席に座り、熱心にノートにメモをとっていました。その姿にK氏は倫理運動の創始者・丸山敏雄の教え「人は鏡、万象はわが師」の生き方を学んだといいます。
「古人は言った、『万象是我師』と。まじめにこれに師事して尋ねる人には、正しく答えてくれる。昔の人は天を父、地を母とよんだ。父母はその子の求めには、何物をも惜しまず与える」(『万人幸福の栞』)
K氏は人の話を聞くときや学ぶとき、先入観を持って聞くことがありました。「肩書き」「学歴」「経歴」等々。もちろんこれらも重要な要素ですが、いらぬ先入観に左右されることが多かったのです。M氏から見れば、K氏は子供くらいの年齢です。そんな若輩の一言からも学ぶ姿勢にK氏は感激したのです。

以後、「学ぶ気があれば、何からでも学べる」「学ぶ気がなければ、どんな立派な話でも身に付かない」と、K氏は「学ぶ姿勢」を自らに言い聞かせるようにしたといいます。
時代小説に新境地を開いたといわれる作家の吉川英治は、『宮本武蔵』の中で「我以外皆我師」を武蔵の言葉として遺しています。自分以外の人、物、自然など、全ては自分自身に何らかを教えてくれる師であるということを意味しています。
青少年期に苦労を強いられた吉川自身も、その言葉を自らの生き方の指針としていました。高等小学校を中退し、生活のために何度も職を変え、独学で文学の勉強をし、その後、文学史に名を残す数々の大作を書き上げ、昭和三十五年に文化勲章を受けます。
学校にも行けず、学ぼうとしても教えてくれる先生のいない中で、「自らが学び取っていかなければ誰も教えてはくれない」という自覚が、「我以外皆我師」と謙虚な姿勢となって現われたのでしょう。
人は学ぶ姿勢がなくなると進歩が止まってしまう生き物です。例えば、他人の欠点は見えても自分の欠点は見えにくいものです。相手の嫌な面を見て、それを教訓にする「反面教師」という存在としても、他人から学ぶ点は多々あるといえるでしょう。
要は物事の捉え方です。何か不可解なことが起きてきたら、見過ごすことなく「何を教えられているのだろうか」と自らを振り返る学び方もあります。常に学ぶ姿勢で着実に進歩したいものです。