世に失敗はつきもの。あってはならぬことですが、仕事の上でも失敗することはあります。
商談に遅刻して取引を棒に振ってしまった、自社工場から出荷した製品に異物が発見された、従業員が事故を起こした、発注書の金額を誤って発行した――。
失敗はないに越したことはありません。誤りのないように仕事をするのは当然のことです。しかし、既に起きてしまった問題に対しては、迅速に、正しく手を打つ必要があります。
倫理研究所会長(第二代理事長)の丸山竹秋は、失敗への対処として、二つの原則を挙げています。
第一は「原因をよく確かめること」。これには①形の上のことと、②その根本原因である内面的な事柄との二面があります。
たとえばTさんは、朝の出勤時、遅刻しそうになって信号を無視して横断歩道を渡ったところ、転ん
で怪我をしてしまいました。
この場合、①にあたるのは信号無視です。しかし問題は、信号無視をしてしまったその奥の原因にあります。
実はTさんは、家を出る間際に、些細なことから妻と言い争いになり、喧嘩をしていました。そのため、出発が遅れ、イライラしながら出勤していたのでした。このマイナス感情が、Tさんを怪我へと導いてしまったのですが、これが原因②にあたります。
腹をたてたり、焦ったりした時に失敗は起きやすいもの。失敗への根本的な対処は、原因の原因である心の間違い、生活の誤りを発見し、改めることにあります。
次に、原則の第二は、「失敗によって自分自身の向上をはかろうと、はっきり前を向くこと」です。
失敗を悔やんでその場を取り繕おうとするのは、割れた茶碗の欠片を集めて元通りにしようとするのと同じで「詮なきこと」に他ならず、「直(ただち)に一歩踏み出す可(べ)し」と言ったのは西郷隆盛でした。
砕けた茶碗の欠片を呆然と見つめてオロオロするだけでは事態は動きません。失敗の原因を突き止め、改めるべき方向を見出したら、直ちに前向きに行動する。ここで初めて失敗が生きてくるのです。
さて、日本には、イザナギの命とイザナミの命という夫婦神の結婚によってこの国土が成ったという神話があります。その中に、はじめ国生みに失敗した両神が上位の神に失敗の原因を質し、やり直したところ、見事に国生みを果たしたという件があります。丸山敏雄は、ここに失敗の意義を見出し、「初敗大成」の原理と呼びました。
最初失敗すること、これは尊い月謝である。喜んで又改めてとりかかると、いつか大きい成功の栄冠がかがやく。(『万人幸福の栞』十二条)
失敗という苦難は、我々を善悪の岐路に導き、こう問いかけます。「誤魔化しの道を選ぶか、より豊かな人生を築く道を選ぶか」と。
失敗は尊い「厳師」。その教えに耳を傾け、勇気をもって正しい道を選びたいものです。その雄々しい一歩こそ、真の成功と繁栄につながる一歩に違いないのですから。